「ガールズ&パンツァー」をみて思い出したこと

矢澤 豊

最初の印象は、掛け値なしの「なんじゃこりゃあ!」である。


日本の女子高生が、第二次世界大戦で使用された戦車に乗り、各校代表チーム同士の模擬戦を通じて勝敗を競う「戦車道」なるスポーツ(?)が存在するという、荒唐無稽というもおろかなストーリー設定。そしてセーラー服にミニスカート姿という、そのスジお約束ビジュアルの女子高生アニメキャラたちが、そのままレトロなデザインの戦車に乗りこんで、徹甲弾を撃ち合うという、ツッコミどころがありすぎて、かえって圧倒されてしまう映像。

初めのうちは、なにやら見てはいけないものを見ているような思いでアニメを見ていたのだが、そのうちにこの作品の作者たちが、ひとかたならぬ愛情をもって登場する戦車たち(しかもそのバラエティーがハンパじゃない)を描いていることに気がつき、これでもかこれでもかという、そのディテールの充実ぶりにノックアウトされてしまった。

実をいうと私の中学生時代、同学年で成績最優秀だった友人I君は(当時は今からでは想像がつかないほど硬派だった)雑誌ホビージャパンの購読者であるばかりでなく、ボードゲームとしてのウォーゲームのファンだった。I君はアメリカのアヴァロン・ヒル社が出していたマニアックな第二次大戦の戦車戦ボードゲーム、「PanzerBlitz」と「Panzer Leader」を持っていて、今考えると全くヘタクソな英文ルールブックの和訳と首っ引きで、プレイしていたのである。

六角形のヘックス(Hexagon)のアミがかかったボードの地図の上で、厚手の紙片で作られた戦車隊、歩兵隊、砲兵隊、輸送ユニットなどを表すコマを走らせ、ターンごとに攻撃/守備の総力を計算し、戦闘の比率を割り出し、その結果をサイコロで決める。PCゲームがあたりまえの世界に育った方々には理解ができないであろうが、それが当時のボードゲームとしての戦争ゲームだったのだ。

そんなI君のマニアックな世界に魅かれた私は、早速I君のゲーム対戦相手となった。I君は親切心からか私にドイツ軍を指揮させてくれたのだが、当時から沈着冷静というよりは猪突猛進な性格だった私は、むやみやたらに突撃をくり返し、I君の指揮下よく蔽遮物に隠されたソ連軍のT-34戦車部隊の前に、虎の子パンターV号戦車部隊の残骸を山と築くのが常だった。非情なサイコロの目を恨めしげに見ながら悔しそうにしている私に向かって、I君はなにやらどこかのセリフらしき言葉をつぶやいて楽しそうにしていたのだが、後日あれは小林源文先生が当時ホビージャパン誌上に連載していた「黒騎士物語」からの引用だったと判明した。

背景説明がやたらと長くなったが、そういうわけで、この「ガール&パンツァー」により、私の頭の片隅に保存されていた第二次大戦の戦車に関する知識が、怒濤のようなノスタルジアと共によみがえってきたのだ。

そしてそうした知識が、あの中学生時代以降に得た知見と融合し、いろいろな「気づき」になっていった。

例えば、アニメのなかで、主人公たちが所属する県立大洗女子学園チームが、大会決勝戦に投入するポルシェ・ティーガー。女子高生たちに「これ不良戦車なんですよね!」といわれてエンジン炎上を起こすあたり、設計者フェルディナンド・ポルシェも草葉の影で悔し涙を流していることだろう。

高い性能諸元にひきかえ不良品だったポルシェ・ティーガーに代表されるように、戦争が進むにつれナチスドイツは、より高性能の兵器を求め、結果として不毛に終わる兵器開発の試行錯誤に落ち入っていく。それはあたかも科学技術の進歩がすべてを解決しうるという、科学技術への盲信ともいうべき信念が、彼らを迷走させたかのように見える。彼らの信念は、最終的には原子爆弾の開発という形で具現化したが、その前にドイツ自身は戦争に負けてしまった。原子爆弾という究極の兵器を開発したのは敵国アメリカ。しかもその研究の中心となったのは、ナチスが迫害したユダヤ人科学者たちだった、という歴史の皮肉。

こうしたドイツ的なものの好対照となるのがアメリカである。

アニメでは大洗女子学園が大会第一回戦で対戦するサンダース大付属高校なるチームが、アメリカ軍のM4シャーマン戦車を駆る。アニメ中のセリフにあるように、M4シャーマン戦車はそのシリーズ総生産台数が5万をを越える超ロング/ベストセラー戦車であった。しかし性能諸元においては、主砲の威力、装甲などの重要な点において、かなりドイツ戦車に劣っていた。ノルマンディー上陸作戦後、本格的な米独戦車同士の対決が始まると、1対1ではM4シャーマンではドイツのVI号ティーガーなど、ドイツの最新鋭重戦車に全然歯が立たないことが判明したのである。

しかし連合国軍の指導者たちは無闇やたらな兵器開発競争にのめり込むことなく、M4シャーマン戦車にこだわった。GM、フォード、クライスラーなど、アメリカを代表する自動車メーカーが総力をあげて生産していたM4シャーマンは、マスプロ・タンクの特性を最大限にいかし、部品の互換性・汎用性が高く、たとえ中の戦車兵たちが装甲を貫通した徹甲弾でグシャグシャになったとしても、戦車自体は修理がしやすかったのだ。

「ドイツ軍のティーガーは1台で、シャーマン10台を相手にできたんじゃ!」
「じゃぁ、なぜドイツは負けたの?」
「やつらには常に11台目があったのさ。」

かくして前線の兵士たちの悲鳴は無視され、連合国軍は計算づくの犠牲の上に勝利への戦略を確固たるものにしたのである。

第二次世界大戦当時のアメリカ軍にはこうした戦略策定傾向がよく見受けられる。百田尚樹さんの「永遠の0」を読んだ方ならば、ご存知のことだと思うが、大戦初期、アメリカ空軍はドイツの軍需工場施設に対して、B17爆撃機による護衛戦闘機なしの昼間爆撃を敢行し、約5千人の犠牲者を出している。これは日本の特攻隊による犠牲者、約4千人を上まる数だ。

こうした当時の連合国(アメリカ)軍指導層の冷血なまでの戦略思考は、日本のそれの対極をなしている。日本軍の「玉砕」は、勝利のための犠牲ではなく、犠牲となるための犠牲であり、重要なのは「動機の純粋性」だ。それはたとえば、陸軍へのおつきあいから、海軍が戦艦大和を犠牲にさし出させられたことに凝縮されている。

ミニスカート姿の女子高生キャラたちの学園ドラマをみながら「なぜ日本は戦争に負けたのか」などということに思いをはせるのも、ヤボといえばこれほどヤボなことはないのだが、どうしてもこれは現代の日本人に課せられた避けては通られぬ命題のような気がする。

オマケ

「祖国のために死んで戦争に勝ったやつなんぞいない!戦争に勝つにはなぁ、敵の阿呆どもをヤツらの祖国のために死なせてやるんじゃ!」