イスラエル、キプロス、シリア、レバノンに囲まれた地中海の東端はレバント海とよばれる。イスラエルのハイファイから90キロほど沖の海底に2009年にガス田が発見され、今年の3月から生産開始。それ以来、この近くの海が各国のメディアの注目を集める。日本でも2013年6月16日付けの朝日新聞グローブが「ガス田発見、広がる波紋」のなかで取り上げていた。
この付近の海底には、経済的にも技術的にも採掘可能な3兆4500億㎥におよぶ天然ガスが埋蔵しているとされる。ちなみに米国の天然ガス可採埋蔵量は、シェールガス資源を除外すると、ほぼ8兆㎥に過ぎない。今や東地中海 が「第二のペルシャ湾」と喧伝されるのもこの埋蔵量の巨大さのためである。
「第二のペルシャ湾」はこの地中海の東端のレバント海に限らない。下の地図の中で天然ガスや原油が埋蔵している海底を楕円形でしるした。ギリシャとトルコの間に挟まる海域がポール・モーリアの「真珠」で有名なエーゲ海だ。そこに浮かぶ夢のように美しい無数の島に遠慮して楕円をえがかなかったが、海底には今や真珠よりもっと富をもたらす別のものが埋蔵する。
この地図を見ていて奇妙な感じがして来ないか。リビア、エジプト、シリアといった「第二のペルシャ湾」沿岸諸国はこの数年来「アラブの春」とよばれて政情不安定になったり、内乱状態に陥ったりしている国々である。国際社会で半世紀以上も前からオイルの臭いがするたびに 内部対立を煽って漁夫の利をねらう勢力の存在が知られている。そのような事情から、今回も似たことだと思っている人は少なくない。
次にユーロ圏加盟財政破綻国ギリシャには巨大な天然ガス資源がある。例えばクレタ沖の海底であるが、埋蔵量が大きいカスピ海やアゼルバイジャンなどとおなじように、二枚のプレートが衝突し、ガスハイドレートを含む火山泥の堆積が存在する。この巨大な堆積層に 25兆から50兆㎥に及ぶ天然ガスが埋蔵量しているという探査結果もある。世界有数の天然ガス埋蔵国というとイランやカタールでも30兆㎥もしくは25兆㎥程度であるので、クレタ沖海底のガス田がいかに有望なものであるかがよく理解できるのではないのだろうか。
このような事情を考えると、ギリシャの財政破綻からはじまったユーロ危機も少し違って見えてこないか。
ギリシャでは2009年秋に政権が新民主主義党のカラマンリスからPASOK(ギリシャ社会主義運動)のパパンドレウに交代した。新政権のパパコンスタンティノウ財務相は旧政権が12%以上もあった2009年度の財政赤字のGDP比を6%と低めに発表していたと暴露する。ギリシャが数字を粉飾してきたことはひろく知られていたが、深刻に考えられなかった。ところが、こうして本人からいわれるとEUのほうも知らん顔ができなくなる。
これがユーロ危機のはじまりで、当時胡散くさいと感じた人は少なくなかった。案の定その後奇妙なことが起こる。今年の1月に入って、 パパンドレウ政権に数字を提供して財政赤字粉飾を暴いたアンドレアス・ゲオルギオ統計局長が今度は意図的に実際より財政赤字の膨らませたという背任の疑いで検察から公訴された。統計局の監査役会のメンバーの経済学者ツォエ・ゲオルガンタもこの検察の嫌疑を肯定している。
新民主主義党のカラマンリスは在任中ロシアとより密接な関係を築こうとしていた。反対にPASOK(ギリシャ社会主義運動)のパパンドレウは親米的であった。両政治家の対立の原因が「第二のペルシャ湾」にあると考える人は多い。
例えば、株の仲買人兼著述家のデュルク・ミュラーもその一人で、今年出版された「ショーダウン」のなかでこの巨大なガス資源の独占を画策する国際勢力の存在を推定する。武器を供給して内乱を引き起こすことはギリシャではできないので金融市場の操作をした。またドルが唯一の国際的基軸通貨にとどまることを望む人々にとっても、ユーロ弱体化は都合がいい。
「平和記念碑」になった欧州連合
ユーロ圏の厄介者ギリシャがこれほど豊かなガス資源に恵まれていると聞いて驚くドイツ人は少なくないと思われる。もっと驚くべきことはこの事実が政治家からも、またメディアからもろくろく問題にされない点だ。埋蔵量が事実でないと誰かが真っ向から否定するわけでもないし、また何かの拍子でふれられることがあっても、どうでもいいことのように扱われる。
ドイツ銀行の控えめな計算によれば、クレタ沖の資源は、4270億ユーロの価値をもたらし、儲け半分としても2140億ユーロになるそうだ(ちなみにギリシャのGDPは昨年1685億ユーロであった)。なぜこのような朗報が、ギリシャにお金を貸しても戻って来ないと心配するドイツ国民の耳に届いて来ないのだろうか。
ユーロ圏加盟国キプロスも巨大なガス資源をもつ。今年に入ってから、 この国も自国金融機関の破綻から欧州連合に支援を要請した。当時ギリシャとは異なり、このガス田は少し話題にのぼる。シアルリ・キプロス財務相がオランダの議会演説の中で自国のガス田資源を担保に借款を申し込んだからだ。ところが、キプロスというとマネーロンダリングばかりが話題にされて、このようなまともな借金の申し込みをしても無視されるばかりだった(今や欧州では、きちんと借金を申し込むことは時代錯誤になりつつあるのかもしれない)。
2012年にドイツはほぼ930億㎥の天然ガスを消費した。購入先はロシアが最大で38.2%、ノルウェーが34.8%、オランダが22.4%と続く。ところが、ノルウェーもオランダも埋蔵量が少なく、将来ロシアに対する依存度が高まる。ユーロ圏に属するギリシャやキプロスから将来ガスを入れることができれば、願ったり叶ったりの話である。
そうだというのに、このエネルギー安全保障上の重要な視点が、信じられないことに、ドイツのユーロ危機では死角に入ってしまう。「第二のペルシャ湾」独占の野望を抱く人々がギリシャ財政危機を演出したりするだけでなく、世論にも影響をおよぼしているのかもしれない。
私は、長いスパンで見ていて思うことだが、冷戦終了を境にドイツ人の欧州統合の在り方や考え方が変わった。簡単にいうと、理念ばかりが強調され,経済的現実が軽視されるようになった。ギリシャ危機がはじまった2010年に、 エーゲ海の無人島を担保にくれるなら借款に応じるといって、歴史認識の欠如を非難されて袋叩きあった政治家がいた。
ということは、この国では、ギリシャの借金から天然ガスの埋蔵を連想するのは、あまりにも打算的で欧州統合の崇高な理念に反すると考えられるようだ。とすると、コール元首相の「ユーロ導入は平和を選ぶかそれとも戦争かの問題だ」とか、メルケル首相の「ユーロが失敗したら欧州統合も失敗する」とかいった迷言が物語るように、欧州連合そのものが「平和記念碑」のような存在になってしまったのではないのだろうか。
美濃口 坦(みのぐち たん)
翻訳家、フリーライター
ドイツ在住