マイクロファイナンスに必要なのは「Greedy」な投資資金 --- 内藤 忍

アゴラ


プノンペン2日目は、マイクロファイナンス事業を展開する、サミック社の郊外にある支店を訪問。ミュージックセキュリティーズ社が日本で募集したマイクロファイナンスファンドの資金が現地でどのように使われているかを視察しました。


日本では貧困層向けのサポートを行う社会貢献的事業として捉えられているマイクロファイナンスですが、現実はビジネスとしての採算を重視した営利事業です。もちろん、結果として資金を提供して、貧困層の支援につなっがっている社会的意義のある事業ですが、ボランティアでやっている訳ではありません。

車で2時間近く走って到着した現地で印象に残ったのは、人懐っこい地元の子供たちの笑顔と、自然と共に暮らす素朴な生活スタイルでした。子供があちころにたくさんいて、外国人がやってきたとわかると楽しそうに近寄ってきます。純粋無垢な子供を見ているとそれだけで癒されます。

マイクロファイナンスの融資先の人たちの暮らしは決して豊かとは言えません。金融の仕組みを上手に使うことによって、人々の生活をより豊かにしていくビジネスには大きな可能性と存在価値があると感じました。

カンボジアkに限らず、誰かを支援していくような仕組みを考える場合、日本ではどうしてもボランティアのような人々の善意を前提にした方法に頼りがちです。

ミュージックセキュリティーズで投資をしている投資家のほとんどが、利益のために投資しているのではなく、社会貢献のためにやっていると考えているようです。そのような考え方を否定する訳ではありませんが、もっと投資マインドを持った資金も集まれば、さらにファンド自体が大きく成長し、社会を変えるインパクトになるはずです。

マイクロファイナンスに投資すれば儲かる。そんな投資家が増えてくれば、資金が自然に集まるようになり、投資の成果を上げるような事業が拡大していくことになります。被災した人や貧困に苦しむ人にとって必要なのは、資金です。

投資で利益が得られるということは、そのお金が社会にとって役に立った証と考えることができます。株式であれ、不動産であれ、投資は自分のためだけではなく、投資先のためになる必要があり、ひいては社会全体に意義のあることでなければ、続かないのです。

経済合理性に基づいた「Greedy」なお金は。競争原理を通じて社会のお金の使い方を効率化してくれます。経済合理性だけで解決できない問題もありますが、はなから人の善意だけに頼っていては限界があると思うのです。

欲望に満ちた「Greedy」なお金と社会的貢献のために投資されたお金。2つのお金の境界線が無くなれば無くなるほど、社会にとって意義のある投資がやりやすい環境が実現できる。カンボジアのマイクロファイナンスの現場で話を聞いて、その考え方ま間違っていないと再確認することができました。

編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2013年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。