張成沢処刑は習近平の金正恩外しへの逆襲なのかも

大西 宏

北朝鮮の金正恩体制による張成沢氏の処刑にいたる経緯をわざわざ公開したことを見ると、いかに金正恩の張成沢氏への怒りと憎しみが深かったのかを感じさせます。北朝鮮の国営放送が読み上げた処刑理由の2700文字を超える公式文書の要約をウォール・ストリート・ジャーナル紙がまとめていますが、記事タイトルにあるように「犬にも劣る人間のクズ」が「卑劣な手段で国家転覆」を謀ったからだということでしょう。
「犬にも劣る人間のクズ」が「卑劣な手段で国家転覆謀る」―張氏の処刑理由 – WSJ.com
落ちぶれた北朝鮮ナンバー2 最後の姿に殴打の痕跡 :


それは取りも直さず、金正恩がまだ権力の継承を終えておらず、体制が不安定で、そのなかで内部での葛藤や抗争があったことを示しています。推察されるのは北朝鮮で金正恩を実質的に外すか、公式発表のようにクーデターの動きがあり、追い詰められた金正恩による逆襲ともとれます。

張成沢氏は中国との重要なパイプ役であったこと、その側近の2名も機関銃で公開処刑されたこと、さらに中国系香港紙が、中国遼寧省丹東の中朝貿易業者らの話では、対中貿易担当の多数の当局者らも処刑されたようだと報じ、中国との関係者が相次いで処刑されたことを考えると、そこに映しだされているのは中国の影です。もしかすると、金正恩外しは張成沢氏を利用して中国の習近平主席がしかけていたことかもしれないのです。
中国と張成沢氏で実質的に北朝鮮をコントロールし、たとえ名目では金正恩をリーダーとしておいても、実権を奪う流れ、あるいは中国の承認済みでのクーデター計画があったとしても不思議ではありません。
時事ドットコム:貿易当局者、多数処刑か=張氏失脚で北朝鮮-香港紙 :
習近平主席の金正恩外しについては、東アジアの取材経験が豊富でこれまでも本を書かれている近藤大介氏が今年4月の現代ビジネスの記事で指摘されていることです。

私は、北朝鮮が2月12日に3度目の核実験を強行した時、習近平は「もうアイツを見限ろう」と決断したとみている。習近平はそのちょうど1年前に、自分の兄貴分さえ冷たく見放している。薄熙来・元重慶市党委書記である。習近平は、必死に縋ろうとした薄熙来の手を振り払って、長い外遊に出てしまったのだ。習近平という指導者は、それほど冷酷な一面を持っている。
金正恩は米中に挟まれて滅ぶのか!? いよいよ行き止まりに追い詰められた「三胖児」の運命やいかに | 北京のランダム・ウォーカー | 現代ビジネス [講談社] :

中国としては、北朝鮮の暴走によって、米国が自国周辺に米国の兵力が配置され、中国封じ込め戦略が拡大することを嫌い、暴走したがる金正恩や軍部の影響力を排除し、経済の中国への依存度が高まるなかで実質植民地化し大人しくさせておきたかったということでしょう。

実権を奪われること、あるいはクーデターへの危機感を持った金正恩と、瀬戸際外交の暴走が押さえられ、しかも中朝貿易の利権から外されてきたことに不満を持つ北朝鮮軍部とが組んだ動きという構図も浮かんできます。北朝鮮は情報がない国なのであくまで想像の域を超えませんが。

金正恩の危機感が強ければ強いほど、また張成沢氏の影響力が大きければ大きいほど、粛清は凄惨を極めてきます。朝日新聞や朝鮮日報が伝えていた「銀河水管弦楽団」のメンバーをはじめ音楽家9人の処刑のようにです。
朝日新聞デジタル:9人処刑、正恩夫人の醜聞隠し 「彼女も昔は同じように…」ポルノ制作の楽団員ら銃殺 :

米自由アジア放送(RFA)は11日、北朝鮮で今年8月、金正恩(キム・ジョンウン)労働党第1書記の妻、李雪主(リ・ソルジュ)氏が所属していた「銀河水管弦楽団」のメンバーをはじめ音楽家9人が処刑されていたことが分かったと報じた。処刑方法は、4つの銃身を備えた機関銃や火炎放射器を使うなど残酷なもので、処刑されたメンバーには妊婦も含まれていたという。
金正恩氏、妻の元同僚ら9人を残虐処刑:

しばらくは粛清による緊張がつづくのかもしれません。

テーマパークをつくったり、スポーツ振興に力をいれ、経済復興を印象づけていた北朝鮮ですが、どうも経済が破綻し始めているのではないかという見方もあります。北朝鮮は豊富な金の埋蔵量がありますが、故金日成主席の決して売り渡すなとのいう遺訓に反し、北朝鮮経済の「最後の切り札」となる金を中国に大量に売却しはじめているようだと韓国の聯合ニュースが報じています。

金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去直後の2011年末に権力を継承してから、遺訓を守って金の海外売却を思いとどまってきたが、経済状況が行き詰まり金の輸出を決断したとされる。
北朝鮮 ついに金を中国に売却?=経済崩壊のシグナルか :

ただ、北朝鮮と中国の貿易は、2012年も前年比5.4%増の59億3,054万ドルと過去最高を記録し、しかも貿易収支は黒字であることを考えると、むしろ経済破綻というよりも、経済制裁によって、これまで北朝鮮が武器や麻薬、あげくは偽札で稼いでいた外貨が得られなくなった結果、あるいは何かに投資する資金を得ようという動きなのかもしれません。それは北朝鮮の発表のように金正恩を無視して、張成沢氏が独自に進めていたのでしょうか。
2012年の中朝貿易、前年比5.4%増で過去最高に – 世界のビジネスニュース(通商弘報) – ジェトロ :

ところで北朝鮮の脅威とはなにでしょう。ミサイル発射や核実験、また韓国への砲撃や国境を超えた軍部の侵攻といった軍部の暴走だけではありません。もうひとつは北朝鮮の崩壊です。崩壊すれば難民が中国、韓国、そして日本海でつながった日本に大量に雪崩れ込んできます。難民が犯罪の温床となり各国の経済や社会秩序を混乱させることです。

しばらくは不穏な動きが続くことも予想されますが、張成沢処刑によって金正恩支配が安定し、もし金正恩が中国に逆らうリスクを感じていれば、軍の暴発は抑えるでしょうし、まあ不安定で軍部の士気を高める、また体制固めのための強硬な路線を選べば東アジアの緊張が一挙にたかまってきます。
金正恩の映像を流すことが増えてきたことから考えると案外なにも起こらないという可能性も残っています。
<張成沢処刑以後>叔父処刑後に笑顔で現れた金正恩(1) | Joongang Ilbo | 中央日報 :
<張成沢処刑以後>叔父処刑後に笑顔で現れた金正恩(2) | Joongang Ilbo | 中央日報 :

微妙に変化するのが韓国ではないでしょうか。中国からすれば、北朝鮮は張成沢氏をパイプにしておけばさらに植民地化が進み、さらに韓国が中国に意向に沿った恭順な国となれば中国にとってもっとも都合のいい東アジアの新秩序が生まれます。しかし中国がしかけた防空識別圏問題への警戒心、また北朝鮮情勢への警戒感から、中国の思惑通りになるかどうかが不透明になりました。

朴槿恵大統領が、反日姿勢を強め、中国に擦り寄った外交政策をとったことは、習近平主席の意に沿ったものだったと思います。しかし日米関係が深まり、韓国のポジションを危うくしてきたことに加え、今回のように北朝鮮の緊張の高まってくると、これまでの外交姿勢は変更せざるをえなくなってきます。それを恐れる韓国メディアから朴槿恵大統領の政策への懸念も起こってきています。

北朝鮮の金正恩体制が脆弱であれば、粛清がさらに広がり、多くの人が見ているように、朝鮮半島の緊張をつくりだすことで、国内引き締めをはかろうとしてくる可能性は高く、朴槿恵大統領の異常な反日姿勢も修正せざるをえません。これまで反日一色だった韓国のマスコミもかなり論調に変化がでてきていることもひとつの兆しでしょう。

残念ながら、拉致問題解決も不透明さがさらに深まりましたが、今回の事件を機に、北の脅威に備え、日韓関係にいい変化が起こってくることに期待したいものです。日本が外交の手腕を見せる好機になればと感じます。