知られざる都議選のネット勝利(上)

新田 哲史

●ネット選挙は「オワコン」か?
2013年がもう終わる。初のネット選挙は多数の政治家、マスコミから酷評をされた(その論としては、政界を引退されて悠々自適の早川忠孝センセイのブログがまとまっている)。先日も、鈴木寛さんのお供で、早大の鵬志会主催のシンポジウムを見学した際、一緒に登壇していた宇野常寛さんが“メロリンQ当選・すずかん落選”の現象を引き合いに「僕らの敗北」「陰謀史観と炎上マーケティングが横行」と嘆いていた。「オワコン」な雰囲気のネット選挙だが、実は視点を変えてみたり、マスコミが気付いていない小さな話を探ったりすると、示唆に富む発見がある。


●激戦の北区を勝ち抜いた新人
今月2日、政治家ブロガーとして人気のおときた(音喜多)駿都議(北区選出)を都議会庁舎まで取材に行き、彼のネット戦略を尋ねた。当初は今後のトレンドになると筆者が予測する別の話題が目的だったのだが、選挙に至るまでの話がとても面白かった。その後、党のお家騒動やら猪瀬問題やらで様子を見ていたものの、年越ししたくないので(苦笑)そろそろご紹介する。彼は出馬時28歳。二世ではなく、水道工事店のご家庭に生まれ、本人はサラリーマン出身。そんなフツーの若者がなぜ奇跡的な勝利を挙げられたのか?都議選はネット選挙解禁前なので選挙期間中の運動には使えなかったものの、選挙に至るまでの活用は筆者の目を引いた。

ここで前提として、当時の都議選前の情勢をおさらいしてみよう。図のように北区は定数4に候補者7人とはいえ、なぜか現職5人が出馬。これは千代田区から「国替え」がいたためだが、全員がすべて主要政党公認で泡沫はなし。おときた君は地盤も看板も無い新人でありながら、現職5人、元職1人の「プロ」を向こうに戦う羽目になった。

●はせ参じたのは異例のボランティア
選挙に初めて立つ候補者の難問のひとつが、ボランティア集め。公選法で運動員の買収が禁じられる中、ポスター貼り、チラシ配り、声掛けを最前線でする人は本当に貴重な戦力だが、若い新人はプロに匹敵する地盤もない。おときた君も例外なく「地元の友達だけなら百人がせいぜい」の有様。しかし出馬表明後、人集めに困ることはなかった。しかもここで珍現象が2つ起こる。一つは20代の若者中心だったこと。ただでさえ選挙に関心が薄く、選挙活動となると障壁は高いというのに、だ。2つ目は区外からの参加者が多かったこと。正確な比率は分からないが、「地元の友達から『居心地か悪い』と声が一時あったくらい」(本人談)というから、結構な割合だろう。北区は、23区の中でも地縁が割合残り、下町コミュニティが機能している。その土地柄で「若者」「よそ者」が目立つ陣容を整えたのは異例のことだ。

そのあたり、都市部選挙の若い新人候補者ならではの現象で、早稲田という有名マンモス大学出身であること、会社員時代から東北の被災地ボランティアを務めるなどプライベートの人脈を培ってきた基礎もあっただろう。それ以上に彼には強みがあった。活動に参加した渋谷区在住のOL(26歳)は、「ブログで、おときたさんを知った」と振り返る。

▼いまや政治家ブロガーとして人気のおときた都議。手前の書類は知事の所信表明で取材は12月2日

●同志を集めたが、最大の決断が!
おときた氏は学生時代からネット上でちょっとした有名人だった。就活の様子をブログでつづり、大手商社等のエントリーシートをネット上にアップしたのを機にアクセスを集めた。このあたり明細書や予算関係書をどんどんオープンする今日の芸風の基礎は出来ていたようだが(笑)、集まった面々の中には、学生ブロガー時代からのファンも多数いた。彼らは仕事の合間を縫って北区に結集。梅雨時で蒸し暑く、雨に打たれる日があった中で、チラシを配り、懸命に支持を呼びかけた。

若者たちの健気な姿は道行く有権者に爽やかな印象は残しただろう。それでも競合は全て百戦錬磨の現職、元職たちであり、組織力でも勝る「プロ」軍団である。本当に自分たちの訴えは響くのだろうか――。不安や迷いが生じ始めた時、おときた氏はある重大な決断を求められるシーンに直面する。ある有力者から持ちかけられた一つの提案。それは地盤も看板も無いおときた氏にとって、選挙戦を有利にする可能性もあったが、しかし同時に有権者から見れば「ブレ」たと見られかねない戦略上のリスクもはらんでいた。

そして、その決断は結果的に彼の「運命」を分けるのである。(続く

・・・・・・なーんて、色々書いていたら、結構な字数になっちゃいました。堀江貴文さんに言わせれば、最近は400字も読むのですらシンドイご時勢らしいので(苦笑)続きはまた。
今日はこんなところで。ちゃおー(^-^ゞ

新田 哲史
Q branch
広報コンサルタント/コラムニスト
個人ブログ