これは幕末に天皇家の社としてつくられ、「東京招魂社」と呼ばれていました。明治時代に靖国神社という名前になり、政府が運営するようになりましたが、これは昔も今も国のために命をささげた人をまつる神社ではありません。
それは天皇家のために死んだ人をまつる私的な神社なので、勤王の志士として死んだ坂本龍馬はまつられていますが、彼らを殺した新撰組はまつられていません。しかし明治維新までは徳川幕府が正式の国で、勤王の志士はそれを暴力で転覆しようとするテロリストでした。新撰組は京都を警備する警官だったので、国のために死んだのは彼らです。
要するに「勝てば官軍」なのです。だから明治維新の最大の功労者である西郷隆盛もまつられていません。西南戦争で政府(天皇家)と戦って負けたからです。靖国神社は正式の国有施設になったことはありませんが、明治政府はこれを国家神道という国営宗教の中心にしました。これは宗教といっても教義も教会もなく、「万世一系」の天皇家を崇拝する以外に中身のない宗教です。
日本は明治時代に西洋の国をまねて近代国家になろうとしたのですが、制度は輸入できてもキリスト教は輸入できない。その穴を埋めるために伝統信仰を「神道」と名づけ、それと関係ない天皇家を一緒くたにして靖国神社を国の精神的な中心にしようとしたのです。
このように天皇家の私的な問題と国の公的な目的をごちゃごちゃにして「天皇のために死ぬ」という形で国を統合したことが、明治国家の特徴でした。西洋では18世紀までに、そういう私的な家の権威で国を治める絶対君主は全滅しましたが、明治憲法は100年遅れでそういう公私混同の国をつくってしまったのです。
そこでは国としての目的がはっきりしないまま、私的な「気持ち」で政府の方針が決まり、いったん決まった「空気」は国会などできちんと議論されないまま、「英霊に申し訳が立たない」といった心情で戦争に突っ込んで、第二次大戦ではボロ負けしました。
「勝てば官軍」というご都合主義は、敗戦で大混乱になりました。国にも天皇家にも大損害を与えた東條英機は「賊軍」ですが、1978年に靖国神社にまつられました。このときは天皇家は常に正しいということにしないと辻褄が合わないので、靖国神社の中にある遊就館では、軍事的には負けたが、あの戦争は正しかったと書いたパンフレットが配られています。
安倍さんが今回、アメリカなどの反対を承知の上で参拝したのは、遊就館と同じ歴史観を世界に向けて発信したことになります(そう受け取られてもしょうがない)。「鎮魂」のためなら、国の所管する千鳥ヶ淵墓苑に行ってもよかったはずです。彼が昔のように戦争を仕掛けるとは思えませんが、明治時代を理想とする自民党の右派の代表であることは間違いないでしょう。
本当に大日本帝国はそんな立派な国だったのでしょうか? 日本が戦争に負けたのはやり方が悪かっただけで、「大東亜共栄圏」などの目的は正しかったのでしょうか? そういう問題をあらためて考えるには、今回の参拝も勉強のきっかけになるかもしれません。