「STAP細胞」に心も晴れる --- 岡本 裕明

アゴラ

ES細胞からiPS細胞、そして今回新たなる万能細胞「STAP」なるものをマウスの実験を通じて成功したと発表した理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー。iPS細胞の生みの親、山中伸弥京都大学教授は「重要な研究成果が日本人研究者によって発信されたことを誇りに思う。今後、人間の細胞からも同様の手法で多能性幹細胞が作られることを期待している」と述べ、今後のさらなる成果を期待しているコメントを発しています。


このSTAP細胞は「刺激」による再生細胞に注目されたそうでここまで来るのに5年の歳月がかかったとのことです。山中教授のiPS細胞でのノーベル賞受賞で小保方さんチームの開発へのパッションを高めたかもしれません。

私にはまったく無縁のこの世界であまりにも急速に科学の究明が進んでいく中での発表に「生物界の常識を覆す」という表現が最も刺激的であり私も「気持ちの再生」ができそうな気がいたしました。

もうこれ以上の改善はないだろう、と言われることはよくあります。例えば人間の寿命は何歳だろう、考えてみるといわゆる常識的な数字から80歳とか、自分たちがもっと歳を取った時は医療が発達しているからあと5年ぐらい延びるかな、ぐらいは想像できる範囲でしょう。何年か前に読んだ記事に細胞が活性化したままならば論理的には200歳まで生きてもおかしくない、というのがあったことを思い出しました。100年から150年生きる亀をも凌駕するかもしれないその寿命の長さに対して人々は「そんなに生きたくない」「老後が長すぎる」「太く、短くが格好いいのだ」などある意味、その可能性を否定し、自分の中でその発想そのものを消化できないコメントが並んでいた記憶があります。

しかし、この数十年の間に疾病の治癒の能力は圧倒的に進みました。今や、エイズ患者も世界で急減していますが、エイズが発見された時、まるで人類の終わりぐらいのトーンで世界を驚愕させたことはもはや、ほとんどの人の記憶の片隅にもないかもしれません。

世の中では常識を覆すことは科学だけではなく、社会でも経済でも常に起きています。我々は常識という過去にとらわれ、その枠の中で発想をしがちになります。なぜかといえばそれは発想そのものを既存の論理や事実と比較する立ち位置にあるからかもしれません。私は「過去の前例に基づき…」という言葉を聞くと表情が曇ります。それは前例主義ではなくその場、その時の背景をベースに価値観を刷新しなくてはいけないと考えているからなのです。

法律を学ぶ人は判断材料として過去の判決を非常に重視します。しかし、その過去の判決があった社会事情と今日の社会事情は大きく違っていることもあるでしょう。とすれば、我々はあまりにも過去に振り回されて過ぎているのかもしれません。

考える力、創造する力とは自分の頭で常日頃から思い描くことだろうと思います。他人の何かをみて刺激をもらうのもよいのですが、発想の原点は自分で生み出すという気持ちを思い続けることが大事ではないでしょうか?

私がユニークだと言われるとすればそれは他人に感化されにくいからかもしれません。いつまでコートを着るのか、と問われ、周りのひとが脱ぎ始めてるまで、ではなく、寒さが和らぐまで、が正解ですが、案外、人の動向を気にするのが人の性というものです。ちなみにこの冬、私は半そでのポロシャツに薄手のセーターやベストという格好をちょくちょくしていたのは暖房がよく効く事務所では半そでが一番心地よいというのが私なりの解であったようです。

今回の生物界の常識を覆す発想は我々の気持の常識も覆すようになるのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年1月31日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。