本当にうまく行くのだろうか? 安倍政権が医療を「成長産業」として捉え、育て上げようとしていることだ。
経済産業省が長年温めてきた構想がベースである。厚生労働省や文部科学省などとの温度差もみられるが、政府は成長戦略の主柱に位置付け、国を挙げて進めようとしている。もちろん、そのすべてがダメだと言うつもりはないのだが、「大丈夫か」と突っ込みたくなる政策が目立つ。
その筆頭格が、安倍政権が期待を寄せる「国際展開」だ。世界における医療機器や医薬品、医療サービスの市場規模は500兆円を超え、成長率は9%近い。アベノミクス「3本目の矢」は市場の失望を買ってきただけに、「バスに乗り遅れまい」ということだろう。
安倍晋三首相は「日本は世界トップレベルの技術を持っている。国際医療協力を新たな成長の種にしたい」と語り、自らセールスマンまで買って出る熱の入れようである。
これまで医療の国際貢献といえば、政府開発援助(ODA)や医師個人による人道支援が中心であった。これを国家的な輸出ビジネスに転換しようというのだ。
その目玉が、病院と医療機器をパッケージで考える「病院丸ごと輸出」である。病院を“ショールーム”に見立て、現地の医師に日本製の医療機器を手にしてもらい、その後も使い続けてもらおうとの作戦だ。すでに、いくつかの企業や医療法人が具体的な動きを見せている。
だが、こうした手法に医療界からは「時代遅れ」との批判が出ている。というのも、「病院丸ごと輸出」について、日本は過去に苦い経験をしているからだ。
日本政府がODAを活用して病院建設支援を積極的に展開したのは1980年代のことだ。当時の事情をよく知る医師は「途上国に最先端の医療機器付きの立派な病院を建て、日本から医師が出向いて技術指導にあたったが、日本の医療スタッフが指導を終えて帰国すると病院は機能しなくなってしまった。何年もしないうちに難民や貧しい人々が住み着いてしまったところもある。医療機械にロープが張り巡らされ洗濯物が干されていたという光景も見られた」と述懐する。近代的な病院を建設し、世界最先端の機材を持ち込んだところで、使いこなす人材がいなければ宝の持ち腐れになるということだ。
この医師は「日本国内でもそうだが、病院というのは立派な医師が一人、二人いたって機能するわけではない。しっかり教育を受けた看護師や検査技師、医療機械をメンテナンスする技術者も必要だ。医薬品や入院ベッドの毛布やシーツが安定的に運び込まれなければならないし、電源や衛生的な水が確保も欠かせない。シーツの取り替えや建物内の清掃に至るまでさまざまな業務がうまく機能して初めて病院経営というのは成り立つ。現地で採用した人々が自分たちだけで出来るようになるまで、教育面を含めて支援しなければならない」と続ける。
長年、国際医療貢献に携わってきた別の医師も「万が一にも、経産省が『病院丸ごと輸出』について、建設業界や医療機器メーカーが儲かればいいといった程度に考えているならば、日本は国際的に顰蹙を買う」と指摘する。「医療というのは、その国の根幹部分である。ビジネスの話が先行すれば、これまで多くの献身的な医師らによって築き上げられてきた日本への信用そのものが台無しになる」と懸念だ。
この医師は「海外で日本式の病院経営を根付かせるには、最低でも常時二十人程度の医師や看護師を日本から派遣し、現地の人々と一緒に働くことが必要だ。今、海外に進出を考えている病院経営者でそれだけの人数の医師や看護師を継続的に海外に送り出せる人物がどれぐらいいるのか」との疑問を投げかける。
そうでなくとも、日本では医師や看護師不足が社会問題となっている。ベッドが空かず、たらい回しとなるケースもあるほどだ。安倍政権は医師を海外に送り出すだけでなく、「医療ツーリズム」として海外から患者を積極的に呼び込もうともしているが、それではますます医師が足りなくなる。実際、医療現場からは「入院ベッドのやりくりに支障を来すような野放図な外国人患者の受け入れは困難」(公立病院幹部)との声が聞かれる。安倍政権は、こうした政策の矛盾にどう答えるつもりなのだろうか。
現地の医師に医療機械や医薬品を手にしてもらわなければ売り上げ増につながらないというのならば、海外の医師を日本に招いて研修する機会を充実させる方法だってある。
「医療=成長産業」の危うさは、これだけではない。「岩盤規制を崩す」と意気込む規制緩和にも、首をかしげたくなる内容が少なくない。
典型例が、いの一番に着手した 医薬品のネット販売だ。あたかもネット販売が経済成長の切り札の如く語られるが、市販薬をネットで売ったからといって、患者一人一人の服用量が増えるわけではない。儲かるのはネット販売会社であり、その分、薬局や医薬品流通業者の売り上げが落ちたのでは、経済全体としてはむしろマイナスだ。ネットによる販売で離島や山間部などに住む人の利便性が上がることと、経済成長とは分けて考えなければならない。
国家戦略特区における 外国人医師の受け入れも、経済成長に資するとは思えない。政府の「外国人医師がいれば、外資誘致が拡大する」という説明は疑わしい。
来日してまで仕事をしようという人たちは、元気だからこそ異国に出向くことができる。出身国の医師がいようが、いまいが受診することは稀だろう。一方、外国人医師にすれば、これまで通り日本人の患者の診察は許されない。特区に住む自国の人が何人いるかは分からないが、これでは一日に何人の患者を診察できるというのか。とても採算は取れず、海外の名医がわざわざ母国でのポストをなげうってまで来日するとは思えない。
万が一、日本で働く外国人ビジネスマンが急病になったり、大けがをしたりしたとしても、母国から来た二流どころの医師よりも、レベルの高い日本の病院を選ぶだろう。そもそも、世界展開するような大企業は、エリートビジネスマンを派遣するに際して、家族を含め医療面のバックアップに万全を期すだろう。大都市のオフィス街には、こうした需要を満たすべく、英語などで対応できるスタッフをそろえた医療機関も少なくない。
政府の産業競争力会議や規制改革会議は、 性懲りもなく 病院経営に〝プロ経営者〟を呼び込み、複数の病院を傘下に置くホールディングカンパニーや、病院に隣接した遊休地の活用など多角経営化への道を切り開こうと検討を重ねている。 だが、医療への市場原理の導入というのは、これまで何度も試みられたが失敗続きであった。 人命に直結する医療はビジネスライクには捉えきれない分野なのである。
それでも、医療を成長産業として捉えたいというのならば、「医療行為」そのものではなく、関連分野にいくらでもニーズはある。
例えば、高齢患者の送迎サービスだ。今後は高齢者の一人暮らしや高齢夫婦のみの世帯が増える。病院までの道のりに急坂や階段があって上り下りをするだけでも一苦労という人も少なくない。ちょっとした手助けが欲しいという需要はあるはずだ。
健康作りにもビジネスチャンスはまだまだ存在する。最近、フィットネスクラブに通うシニアも多いが、少子化に悩む地域の学習塾など、高齢者向けに認知症予防の計算塾を開設すれば、新たな顧客開拓になるかも知れない。
中高年サラリーマン向けの外食サービスももっと充実させることは可能である。昔よりは健康に配慮した外食メニューが増えたとはいえ、まだまだボリューム満点の若者向けのようなメニューが少なくない。健康に気遣った家庭的な料理を、手軽な値段で購入できる中高年向けのレストランやコンビニ店がビジネス街に展開されれば、昼食などで利用する人は多いだろう。
多くの人の医療への期待は、経済成長の「推進役」などではなく、病気やケガをしたときの「安心・安全」だ。本格的な高齢社会を迎えるなか、政府が最優先で取り組むべきは必要な医療をしっかり国民の元に届け続けることであろう。経済が成長しても、いざというときに受診できない国になったのでは元も子もない。
河合 雅司
政治ジャーナリスト
編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年3月5日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。