我々の24時間を誰が獲得するか

アゴラ編集部

マルチタスク、というのは、平行して複数の作業をすることを言います。人間は同時に二つのことはなかなかできない。パソコンはファイルをコピーしながらメールを受信し、動画を再生するようなことができます。

どんな人間も一日24時間しか自由になりません。そのうちの何分の一かは眠っている。マルチタスク、といってもテレビを見ながら同時に本も読むようなことはできない。一人ひとりの24時間を奪い合っている、というのが今のデジタルやIT、メディアの市場でしょう。


Amazonが新しいデバイスを発売するようなんだが、テレビにつないでレンタル映画を観たりゲームで遊んだりできるんだそうです。こうなると、特別なメニュー以外、WOWOWやスカパー!などの衛星放送は用なしですね。ゲームメーカーも戦略を考え直すかもしれない。日本では著作権の関係で、こうしたデバイスはなかなか広まらない。著作権保護には一長一短あるんだが、これは新しいコンテンツが生まれにくい一つの理由になっています。

我々の24時間をどう使わせるか、どう金を払わせるか、といった「容器」がスマホであり、ゲーム機であり、テレビであり、インターネットであるわけです。どこがその奪い合いに勝つか、壮絶な死闘が続いている。Amazonは、単なる小売からコンテンツビジネスに進出し、さらにメディアを支配するかもしれません。

GIZMODO 日本版
アマゾン、ストリーミングTVデバイス「Fire TV」発表!


Sorry, China Isn’t Winning in Ukraine
THE DIPLOMAT
どうもウクライナは、東西に分断されるようなんだが、米国やEU、そしてロシアの綱引きの落としどころはそんなところでしょう。世界はすでに米中の二大国の覇権に移っています。ロシアについていえば、すでに欧米経済圏に深く引きずり込まれ、旧ソ連時代のような「鎖国」状態になって生きのびることは不可能です。チベットや新疆ウイグル自治区などの独立問題を抱える中国にとっても、ウクライナはヤッカイで悩ましい事例でしょう。逆に考えれば、ウクライナのロシアからの離反は、中国に揺さぶりをかけているとも言えます。その一方で、北朝鮮が公然と北京を批判し始め、台湾では中国の影響が強まっています。ウクライナが落ち着いてくると、今度は東アジアで一騒動起きそう。拉致問題が少しずつ進展しそうな空気もあります。北朝鮮の米国への接近はあるんでしょうか。

急に出てきた「子育て給付金」 なぜあまり報道されない?
THE PAGE
これが厚労省の「子育て世帯臨時特例給付金」のホームページです。対象児童1人に対し、1万円、支給されるらしい。どこかで聴いたような制度なんだが、「バラマキ」と批判された民主党の「子ども手当(児童手当)」と同じようなもんでしょう。自公政権がやると批判されず、民主党はマスメディアをあげた「バラマキ批判」に負けてしまった、というわけ。こっちのほうがあまり報道されないのはなぜか、というと、あまり申請して欲しくないんじゃないか、と勘ぐっちゃいます。そもそも「子育て給付金」は、消費税増税にともなう一時的な一度限りの措置らしい。消費税はずっと上がりっ放しで来年にはさらに10%に上げられる予定なのに、こっちのほうはずいぶんと渋い。政府行政の本音を言えば、人口が増えて欲しくないんでしょう。子どもの人口が急に増え始めたら、それこそ大変です。

消費者庁発表「食品表示のガイドライン」も消費者の厳しい目は欠かせず
IRORIO
販売される食品やレストランなどのメニューで、不当表示や誤表記が問題になりました。あれは紛らわしい。どっちでもいいようなものもたくさんあります。こうしたガイドラインは、あくまで一定の基準や最低限の表記の決まりを定めたものにしか過ぎない。販売者や経営者は常に、あいまいさを残したまま、消費者へいいイメージを与えて購買行動へつなげ、売上げを伸ばそうとしています。これについては、売る側と買う側の攻防戦、といった様相を呈している。もちろん良心的な業者はいるんだが、今後も信頼関係がどこまで構築できるか、なかなか微妙です。

Why the Wealthiest 1 Percent Are So Much Richer Than You (Op-Ed)
livescience
グローバル化と発展途上国の生活が向上し、世界的に労働賃金が平均化されつつあります。その結果として、先進国の労働賃金に格差が生まれ、先進国の国民はごく少数の富裕層と圧倒的多数の低賃金労働者に分かれ始めています。米国では約1%の富裕層に対し、若者や貧困層を中心にした勢力がウォール街を「占拠」したりした。この動きは世界的に広まっています。富める者は、その経済力や社会的影響力により、政治や行政に圧力をかけるだけの力を持っています。彼らは当然のことながら、自分たちの経済的社会的地位を固定化しようとし、その子孫にこれらを受け継がせようとする。租税はこうした富の分配機能の側面もあるんだが、なかなか十二分に役割を果たすことができず、貧困層に社会的な不満が蓄積することになります。ただ、勤勉と怠惰、というのは人間の持つ両側面であり、勤勉な者が富み、怠惰な者が貧しくなるのは必然とも言えます。どこまでが「自己責任」で、どこからが「社会的コスト」にするか、このあたりの判断も難しい。怠惰な人間が得をする社会では、勤勉な者に不満が溜まるでしょう。


アゴラ編集部:石田 雅彦