「価値を創造」しつづけてこそ日本

大西 宏

少し前に、お酒の場で、中国や韓国の反日行動に怒りを感じている、いわゆる嫌韓、嫌中の若い人と話をする機会がありました。それでわかったのは、なぜ、そんなに中国や韓国の過剰反応するのかの原因でした。ひとつには、自国への自信がゆらいでいることで、もうひとつは、それとも関連するのですが、中国や韓国が置かれている状況に関して根本的な勘違いがあることでした。


それで腑に落ちたのですが、日経ビジネスに、日本の多くの人が勘違いしているのではないかと指摘しているいいコラムがありました。
 中国の「反日カード」を、日本の「日常」で無効化しよう:日経ビジネスオンライン

 中国の高い経済成長、中国の富裕層が日本のみならず、海外の不動産を買いあさっているという話を聞いたり、高層ビルやマンション群が立ち並び、街中を超高級車が走っているところを見ると、錯覚が起こってきます。

日本人は「中国の大都市はもう日本と肩を並べるレベルになったんだろう。いや、すでにある面では日本を追い越しているのでは」と勘違いしてしまうのだ。

先の嫌中・嫌韓で憤っていた若い人もそうでした。しかしこのコラムでも書かれているように日本と中国では、日常はまったく同じ土俵にたってはいないのです。

ちなみに、よくテレビなどで、中国企業がお金の力で日本の水利権まで買いあさっていると嫌中を煽っているコメンテーターがいますが、それは間違いです。

国内企業ですら良質な水源を手に入れる、あるいは水利権を得ることは容易ではありません。まして外国企業が買い漁ることなどは実際にはできません。現実を知らずに勘違いしているだけです。

中国も韓国も、日本と同じようにやがて成長の壁がやってきます。おそらく、十中八九間違いないと思います。それはあまりにも産業構造が製造に偏っていることと、輸出に頼り過ぎているからです。

中国がまだ高い経済成長率を示しているとはいえすでに減速が始まり、韓国もかつての高度成長の時代を終えています。
 たしかに、日本は中国や韓国より先に経済が停滞してしまいました。工業社会では優等生だったのですが、時代は変わります。日本は次の時代をリードする産業への転換に遅れたことが原因でした。

しかし、根本的な違いは、日本は豊かになってから経済成長が止まったのですが、中国や韓国は、十分に豊かさを実現する前に成長が鈍化しはじめていることです。

 なにが違うかといえば、日経ビジネスのコラムにあるように、社会のインフラも、ソフトも、また日常生活の質も違うのです。

以前、香港在住の友人がフェイスブックに「日本のコンビニで150円くらいで売られているエクレアはすごくおいしい。あれと同じレベルの商品は、香港では1000円出しても買えない」と書いていて、思わず「その通り!」と唸ったが、中国でも同様だ。買えないどころか、それだけ「低価格で高品質」のものは中国中どこを探しても売っていない。10万円の高級輸入ワインはよく目にするのに、「日本に普通にある、ちょっといいもの」は中国には存在しないのである。

ひとり当たりのGDPの違いを見ればそれを想像することができます。下のグラフを御覧ください。日本の一人あたりのGDPはかつては突出して高い時期もありましたが、その後はおよそ欧米先進国並です。しかしまだ韓国との開きはあり、まして中国は日本の5分の1以下です。

 

ひとり当たりのGDPでそれだけの差がでるのは、付加価値を生み出す力、付加価値を生み出すことを可能にするさまざまな社会インフラの総合力の違いが背景にあるからに他なりません。

韓国もようやくセウォル号の事故を通じて、まださまざまな社会インフラやソフトで日本とは大きく差があり、まだ先進国とはいえないことに気がついたのではないでしょうか。少なくとも韓国メディアではその論調が目立ちます。
 セウォル号事故で、朴政権に向けられる怒りと韓国メディアの変化

さて日本はアジアでは最初に、「先進国を追い抜け追い越せ」の時代を卒業し、次の自ら「新しい価値を生み出す」時代に足を踏み込み、まだその対応が十分にはでていないために経済が足踏みしてしまった状況です。

しかし、ようやく課題は見えてきており、あとはそれが社会に広く浸透していくことで、意識転換が起こることを待つだけの状態だと思えます。

ビジネスの社会では、もちろん改善は欠かせないとしても、自らの強みを磨き、独自のポジションを確立することが重要だといわれますが、それは国の経済でも、社会のありかたでも同じだと思います。

安全保障も、なにも軍事力だけで実現できるものではなく、アジアで経済や文化のリーダーとして独自のポジションを築くことが欠かせません。日本の強みを磨き、その存在感で「信頼」を得ることがもっとも重要ではないでしょうか。

そう考えると、中国や韓国の反日の動きに過剰反応せず、自らの抱える課題にこそ積極的に集中することが今求められているのだと思います。

めざすは、まだこの世界にはない新しい「価値を創造しつづける国」でありつづけることだと思います。その意味では、過去との比較でしかない「成長戦略」という言葉はよくないのかもしれません。