「憎まない生き方」は現代の福音 --- 長谷川 良

アゴラ

ヨルダン取材からウィーンに帰国して以来激しい下痢に悩まされてきたが、ようやく峠を越えた感じでキーボートを押す指にも力が入ってきた。そこでアンマン取材中に考えてきたテーマについて忘れないうちに書いてみた。


▲韓国記者団の質問に答えるアブエライシュさん(2014年5月11日、アンマンで)


ヨルダンのアンマンでは、3人の娘さんと姪をイスラエルの砲撃で失ったパレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュ氏(現トロント大学助教授)と会見したが、同氏の「憎まない生き方」について、再度まとめてみたい(同氏との会見内容は「憎しみは自らを亡ぼす病だ」2014年5月14日を参考)。

同氏は「憎悪はがん細胞のようなもので、それは体内で繁殖し、最終的には憎悪する人を亡ぼしてしまう。憎悪は大きな病だ」というのだ。

アンマン取材中の韓国誌「月刊朝鮮」のLeeJohn記者は韓国記者団が主催したアブエイシュ氏を囲む会見で、「日韓両国は互いに憎みあっているが、両国はその憎悪を克服するためにはどうすればいいのか教えてほしい」と聞いていた。日韓両国記者にとって、アブエライシュさんに是非とも聞きたい質問だ。

同氏は「私は韓国に招かれソウルを訪問した。日韓両国間の問題は知っている。韓国は過去の体験を克服し、日本と同じように立派な近代国家を建設してきた」と応じた後、「過去は過去だ。過去問題をいつまでも国の優先課題として扱うべきではない」「過去の囚人となってはならない」と述べた。李記者がその返答をどのように受け取ったかは不明だが、当方はアブエライシュ氏の発言は正鵠を射ていると感じた。

しかし、問題は、過去の出来事、体験は「細胞が覚えている」のだ。、簡単に忘却できない。いつまでも付きまとう。3人の娘さんを失ったアブエライシュさんが殺害者のイスラエルを憎まないのは同氏の祝福された性格にあるのではないか。当方は「愛する人を殺した相手を憎まず、許すことができるのはあなただからできるのではないか。他の人ができるだろうか」と少し意地悪な質問をした。

同氏は当方の質問を聞くと珍しく、「そうではない」と語調を高め、「パレスチナ人とイスラエル人だけに当てはまることではなく、日韓両国、全ての民族間にも該当することだ」というのだ。

それでは、同氏はどのようにして「憎悪」を克服したか。答えは、3人の娘さんを慰霊するために中東女性たちへの奨学金基金を設置したことにあるのではないかと考えた。将来医者になりたかった長女や弁護士になりたかった次女の願いを大切にするため、勉学を目指す中東の若い女性たちを支援しようと決意したという。

同氏は「憎悪はその人を殺し、燃え尽くす。だから、過去を克服するために未来に向かってアクションすべきだ。何か他者の為に良き行動をすべきだ」と主張する。未来の世代のために良き行動を起こすことで自身の中で広がろうとする恨みを抑え、、正しい治療を施すことができるというのだ。

医者のアブエライシュ氏は「治療をしても治らない患者に接した場合、医者は2つのことを考える。一つは診断が間違っていないか。もう一つは治療方法は正しいかだ」という。

同氏は「チョイス」(選択)という言葉を頻繁に発する。「人生は全て可能だ。過去の体験の縛られた人生でなく、未来に向かって行動を起こすべきだ」という。

パレスチナ難民キャンプで生まれ、育った同氏はカイロ大学医学部を卒業し、ハーバード大で学んできた。そしてパレスチナ人医者として初めてイスラエルの病院で勤務してきた体験を有する。
 
アブエライシュさんの「憎まない生き方」は韓国国民を鼓舞する内容があると信じる。日韓の過去は過去だ。過去問題に囚われていたら、憎しみというガン細胞は体内で繁殖し、取り返しのつかない状況に陥ってしまう。慰安婦少女像の設置などはその危険性を強く示唆している。韓国国民は過去の囚人となってはならない。未来に向かってアクションをすべきだ。それも他者のために良き行動を起こし、良きエネルギーを注ぎ、体内に潜む憎悪というがん細胞を消去すべきだ。

同氏の著書「それでも、私は憎まない」は多くの人々の心を捉えてきた。同氏はノーベル平和賞候補にも推薦されているという。「憎しみ」が席巻する社会に生きているわれわれにとって、「憎まない生き方」は現代の福音だろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年5月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。