「ゼロリスク」を叫んでも社会は変わらない

池田 信夫



今夜8時からの言論アリーナでは、中西準子氏(産業技術総合研究所フェロー)の話を聞く。メインテーマは除染で、彼女の提案している5mSv/年という基準をめぐる科学的な議論だが、それは放送を聞いてもらうとして、印象に残ったのは日本の反公害運動の元祖としての思い出話だった。


中西氏が宇井純氏などともに、日本で最初の反公害運動を立ち上げたのは1970年ごろである。そのころは水俣病やイタイイタイ病など大規模な公害問題が発生し、これに反対する運動がちょうど同じころ盛んになった学生運動と合流して盛り上がった。中西氏の専門は下水道だったが、工場廃水を大量に排出する流域下水道に反対した。

彼女も最初は「汚染をゼロにすべきだと考えた」というが、下水道を小規模にしても汚染は残る。それをゼロにするには、工場の操業をやめるしかない。少しでも公害を減らすには、どこまで汚染を認めるかという問題に取り組まざるをえない。そういう話をすると運動体の中では「行政と取引する裏切り者」と批判された。彼女は運動から離れ、全国の自治体に小規模下水道を提案した。

流域下水道は環境に悪いばかりでなく、きれいな水と汚水を混ぜて処理するので効率が悪く、流域全体をつなぐインフラに莫大なコストがかかる。汚水だけを個別に処理する中西氏の方式のほうがコストが安いので、全国の市町村が彼女の提案を受け入れ、小規模下水道が普及した。工場も「下水」に混ぜて流すのではなく「汚水」として管理するため、環境基準を守るようになった。

つまり汚染ゼロを主張した人々は何も変えられなかったが、汚染のリスクを最小化した中西氏は日本の下水道を変え、環境を改善したのだ。運動の目的が政府や大企業を糾弾してストレスを解消することなら「ゼロリスク」を叫んで原発を止めるのが気持ちいいだろうが、その代わりに石炭火力を焚いたら環境汚染は悪化する。

行政も企業も環境汚染を最小限にしたいとは思っているが、「リスクをゼロにしろ」といわれても、ビジネスをやめるわけには行かない。結果的には絶対反対の運動は無視され、社会を変えることはできない。本当の意味で社会を変えるつもりなら、反原発派も中西氏に学んでリスク管理を考えたほうがいい。