朝日新聞と従軍慰安婦問題 --- 半場 憲二

アゴラ

日本……。電車を待っているときは、たいていキオスク(kiosk)の前にいる。縦長に並べられた新聞や平積みされた雑誌のタイトルを眺め、記事を推考しながら、時間をつぶしている。電車がホームに入ってくると購入の決断をするが、大抵、ワンコインで買える産経新聞に手が出てしまう。

中国……。日本語学科の学生が本棚に平積みにしてあった新聞紙をごちゃごちゃかき回し、興味深そうに見ている。学生が、「外教(外国人教師の略。「wai jiao」と言う)が、日本の新聞を紹介したとき、『朝日新聞は左派、産経新聞と読売新聞は右派』と言ってました。半場先生は右派ですね?」と言った。夏休み中ではあるが、大学近くでアルバイトに励んでいる学生達を呼び出して食事をした昨日(8月5日)夜のことである。


日本語だけではなく、幅広い視点・観点に立った異文化やコミュニケーションの在り方を教授すべきはずの教師が、こうした単純化・矮小化した見方や考え方を学生に披瀝するのはやめてほしいと思う。私は、「産経新聞だけじゃなく、日経新聞もあるだろう?」と言い返し、「興味があるとき、知りたいことがあるとき、私はどんな新聞でも読みますよ」と付け加えた。

8月5日、朝日新聞(朝刊)が、慰安婦問題の口火を切った吉田清治氏に関する記事を撤回した上、挺身隊と慰安婦を誤用していたと認めた。朝日新聞DIGITAL(8月5日05時00分配信)記事の中には、「『済州島で連行』証言 裏付け得られず虚偽と判断」とあるが、どことなく他人事であり、記事の最後に至っては目も当てられない。

読者のみなさまへ

吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の確信部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

(傍線は筆者)

とのことだが、「当時、虚偽の証言を見抜けなかった」という詭弁を弄し、今日の朝日新聞に「責任はございません」とでも言いたげである。こういう「真実に向き合おうとしない態度」が問われ、批判の矛先となっているのだが、ピンチはチャンスとはならず、ながらく染み付いた社風を一気に変えられる様子にないらしい。

朝日新聞の従軍慰安婦記事は、これまで他紙や研究者が反論や検証をしてきている。それを30年以上にわたって自社の論調を是とし、他社の論調を非として認めてこなかったわけであるから、「見抜けませんでした」の言葉ですまされる、生易しい問題ではないことだけは、明確にしなければならなかった。

元朝日新聞記者の安藤博氏は、『日米情報摩擦』(岩波新書)の中で、「マスメディアの表面に出てくる言葉(情報)は、日米関係の現実を映す一方、現実の日米関係に少なからぬ影響を与えているはずである」と挙げている。こうも言う。
「敵意を持った言葉がエスカレートしてくることによって、敵意を含んだ相手に対するイメージ、つまり敵意そのものも、だんだん拡大していくことは避けられまい」から、「こうしたエスカレーションが、日米関係の現実にはね返らないような手立てを、情報(報道)のレベルで考えてみなければなるまい」と戒めている(鳥飼玖美子著『歴史を変えた誤訳』新潮文庫、2004年参照)。

この言葉を借りれば、そのまま、「(朝日新聞の記事は)現実の日韓・日中関係に少なからぬ影響」どころか、「非常に大きな影響を与えてきた」といえる。今日の韓国・朴槿恵政権を見てみるがいい。「慰安婦問題」から「女性の人権」に戦線拡大し、政権浮揚につながらないことに気づきながらなお、ディスカウント・ジャパン運動の先頭をきっており、自分と自国の未来を追い詰めてしまっている。

朝日新聞と従軍慰安婦問題……。改めて言うまでもないが、この「世紀の大誤報」によって日本の国益を損ね続けた朝日新聞は、中国共産党朝日新聞日本支局などと揶揄もされてきたが、韓国や中国において、自社の記事が多用されているのを知っている。いわば確信犯なのであって、国益をそぎ落とし、名誉を毀損してきた責任を回避するのであれば、新聞界全体の「倫理」にも目を向けさせるものとなろう。

新聞倫理綱領は “叫んでいる”

国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて補償される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手でありたい。(中略)新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。

朝日新聞は「高い倫理意識を備えた民主主義社会の担い手」とはなり得なかったわけだが、今年6月、日本政府が「旧日本軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話の検証結果」を公表してから間もないこの時期に、なぜ従軍慰安婦記事の検証と訂正を行ったのか。2014年2月5日の参院予算委員会で安倍首相が、「『安倍政権打倒は朝日の社是である』と聞いている」と述べたのは記憶に新しいが、尻尾を巻き、「権力から独立したメディア」を止める気なのか、或いは権力への懐柔策なのかを知るには、まだ時間を要する。

新聞倫理綱領は、このあと「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」と続くが、とくに注目させられるのは、2つ目の「正確と公正」の欄で、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」とあり、一国民としても傾聴に値するこの文言が、新聞社および記者、編集を指揮するデスクそれぞれに自覚がなかったところに、大きな問題が隠されているのである。

朝日新聞が変わるチャンスは何度もあったように思える。

1946年、昭和21年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定された新聞倫理綱領は、2000年(平成12年)に、「社会・メディア状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしいもの」(傍線は筆者)として改定された。このとき日本新聞協会の会長職にあった人物は渡辺恒雄氏(読売新聞社)だが、その後、朝日新聞社からは、箱島信一氏(2003年6月~2005年10月)と秋山耿太郎氏(2011年7月~2013年6月)が協会の会長職に就任しており、「真実と向き合う機会」に恵まれた時期だったといえる。

だが、新聞といえども株式会社の一つに違いない。企業生命にも長短がある。今回の「読者のみなさまへ」であきらかなように、「当時、虚偽の証言を見抜けませんでした」といった程度の現状認識では、みずから斜陽産業として認めたに等しい。

はっきり言って嫌いだが、中国では多用され、学生らの知る『朝日新聞』である。まずは、8月15日の終戦記念日の特集記事をどうするつもりか。次に、みずから取り消した従軍慰安婦記事を韓国や中国をはじめ、海外へどう再発信していくつもりか。日本のみならず、世界における従軍慰安婦の実態、現代女性の「遠征売春」や「人身売買」、「女性の人権」にまで目をむけ、真実にたどり着こうと努力をみせるのか……。そんな手がかりがつかめるのなら8月10日、一時帰国の際にキオスクで買って持ち帰り、来学期の補助教材に利用していいのかもしれない。

半場 憲二(はんば けんじ)
中国武漢市 武昌理工学院 教師