先日、錦織選手が全米オープンテニスで決勝戦まで勝ち進んだことで、日本中がわいたということがあります。4大大会で決勝まで勝ち進むのは素晴らしいことですから、日本中が湧くのは当然のことだと思います。
しかしこのようなツイートを先日発見し、リツイートしました。
私はNHKの放送を見ていませんでしたが、これが本当だとするとNHKは錦織選手より国枝・上地両選手の方が格下、というように見ているのでしょうか。NHKだけではなく、多くの報道機関は国枝・上地両選手の偉業は大したことがない、と思っているのでしょうか。
この錦織選手の決勝進出後、残念ながら優勝は逃しましたが、バイラルメディアも素早く反応し、過去にスポーツジャーナリストの二宮清純氏がフェデラー選手から聞いた話をすぐに紹介していました。
日本の記者が男子プロテニス選手のロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。するとフェデラーは「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」と言った。(参照)
NHKの報道にしてもこのフェデラーの発言が多くSNSで出回っている現状を見ても、日本はどうも障害者スポーツというものを健常者スポーツよりも下に見る傾向にあるようです(世界も同じだという声もあります)。もちろんそう捉えてしまう理由はわかります。圧倒的に障害者スポーツと健常者スポーツでは競技人口が違います。多数の人から勝ち上がって優勝する方が難しいと考えるのは当然です。
障害者スポーツができるのは恵まれた人たちかもしれません。ほぼすべての選手が先進国に住んでいますし、車いすであるとか義足、義手などを用意出来る金銭的な余裕があり、かつそれらを練習するだけの余裕もある国のスポーツです。いい悪いはあるでしょうが、障害を持つ方々スポーツをするためにはそれだけハードルが高いため、競技人口が少なくなるという事実は存在します。
だからといって競技人口が多い錦織選手の結果は偉業であり、国枝選手の4大大会制覇・オリンピック二大会金メダリスト、また上地選手の偉業は報道で差をつけるほどに差があることなのでしょうか?
そうではない、ということは多くの人がわかっていると思います。だからこそフェデラー選手の言葉に「はっ」とさせられた人が多く、バイラルメディアのネタがこれだけ出まわっているのだと思います。もし競技人口の差によって偉業かどうかが決まるのであれば、WBCで世界一になった野球日本代表はさほど偉業ではないということになります。またボクシングのように階級が細かく分けられている競技で勝ったとしても、賞賛されないことになってしまうでしょう。
そのようなことは間違いだというのは感覚的に多くの人もわかっているのです。であれば錦織選手の偉業とともに国枝・上地両選手の偉業ももっと取り上げるべきでしょう。特にメディアは国枝・上地両選手と錦織選手を同時に出演させるなど、両方ともに素晴らしい功績を称えるべきではないかと思います。
乙武洋匡さんは「パラリンピックをなくしたい!」と主張し、障害者も健常者も同じ舞台で輝けるようなオリンピックになってほしいとおっしゃっています。私もこの意見には賛成です。そのためには様々な障害に分けて部門を作らなければいけないなどのハードルも種々ありますから、すぐには出来ないかと思います。その前段階としてオリンピックの前にパラリンピックを開催するという案も一般の人達の間からは上がっているようです。
2020年東京にオリンピックがやってきますが、東京オリンピックでは健常者と障害者のスポーツをどういう風に放送するのでしょうか。錦織選手は大きく取り上げ、国枝選手・上地選手を小さく取り上げるようなことを2020年になってもやっているのでしょうか。今回のテニス界の偉業がいい方に変わるきっかけになってほしいと思います。