在特会のコアの勢力は大したことないが、ベストセラーになったりして、彼らの主張が社会的な共感を得ているようだ。これに私が「どっちもどっちだ」とコメントしたら、在特会と「しばき隊」の両方から反論が来た。在特会の主張は、たとえばこんな感じだ。
これに対して「しばき隊」側の代表は、こういう調子だ。
前者が具体的な事実をあげて自分たちの主張を伝えようと努力しているのに対して、後者は「劣化」とか「呆れる」とか罵倒しているが、論理的に成り立っていない。全国の書店から在特会の本を撤去させているしばき隊の脅迫は、威力業務妨害罪というれっきとした犯罪であり、言論弾圧の「萎縮効果」は右翼より大きい。
ちょっと前なら、「おまえはレイシストだ」とレッテルを貼るだけで、ほとんどの人は黙ってしまった。「在日特権」という言葉を使っただけで、番組をおろされたケースもある。「在日=差別される弱者」という図式があるから、メディアで仕事をする人は、在日や同和のタブーだけはふれなかった。
しかし今は違う。ネット上では(よく悪くも)そういうフィルターがかからないから、在特会のような差別発言が人気を得る。これまで言論の世界では「強者」だった在日にとっては、これが許せないのだろう。
もちろん在特会の「死ね」とか「日本から出て行け」というデモは、明らかにまともな行動ではないが、彼らの主張は上のように意外にまともだ。それはアメリカの保守派が主張している、格差是正措置(affirmative action)批判と同じだからである。
これには歴史的な理由がある。かつてアメリカ人は黒人をアフリカから「連行」し、「奴隷」として酷使した。その後も公民権で差別してきた。それに対する贖罪として、一時的には逆差別することも許される。問題は差別がほとんどなくなった今も、それが必要なのかということだ。
私は少なくとも日本では、こういう格差是正措置はもう必要ないと思う。NYTなどは在日と黒人奴隷を同列にみているが、学術書を読めばわかるように、日韓併合は国際的に承認された条約であり、強制連行なんかなかった。在日はアメリカでいえば、メキシコ系移民に近いのだ。
少数民族を大事にすることは必要だが、それは機会均等で十分であり、結果の平等を保証する必要はない。ニューズウィークにも書いたように、在日や同和の特別扱いは、役所やマスコミの事なかれ主義で残っているだけだ。
私の記事に対する反応をみると、7年前に慰安婦問題について書いたときとよく似ている。そのとき私を罵倒した頭のおかしい弁護士が、今も張り切っているらしい(ブロックしているから見えないが)。慰安婦をめぐる朝日の報道も、差別を糾弾する側は安全地帯にいると錯覚し、多少の嘘は許されると思ってついてきた嘘だ。
差別はよくないが、逆差別もよくない。少なくとも特別永住資格は廃止すべきだ。今年から少し制限されたが、これを相続するのはおかしい。その議論は国会でも堂々とやるべきだ。そういう問題を提起する議員を「在特会と写真を撮った」と糾弾するのはアンフェアだ。今のヒステリックな反応も、そのうち慰安婦のように消えていくだろう。