「朝日たたき」はまだ足りない

池田 信夫

世の中では「朝日たたきがひどい」という批判が出てきたようだ。あまりにもワンサイドゲームなので、ちょっとかわいそうな気もするが、田原さんの話によると、まだ「強制連行」の捏造を認めて謝罪する気はないらしいので、これは認めるまでたたかないといけない。

それより本質的な理由は、本書も指摘するように、朝日の守ろうとしている憲法第9条の一国平和主義は非問題だということである。こんな空想的な平和主義を掲げている政党は、世界のどこにもない。


ところが朝日は、これを政治的争点にしようとして、集団的自衛権や秘密保護法をめぐる常軌を逸した報道が続いてきた。最近では野党が全滅したので、自民党と朝日新聞の論争の様相を呈してきたが、この点についての朝日やそれに随伴する「識者」のコメントは、著者も「言論アリーナ」で指摘したように支離滅裂で、法案もろくに読んでいない。

これを図で描くと、こんな感じだ。民主党は朝日新聞とほぼ同じで、読売は自民党とほぼ同じ。日経は財界の代弁者で、産経が極右のすきま市場をねらっている。この市場はバカにならず、『WiLL』は慰安婦特集で10万部を完売したそうだ。私はこのグループとよく混同されるが、ナショナリズムはきらいなので、図でいうと維新のスタンスに近い。


最大の問題は、平和主義という政治的主張はありえないということだ。日本では「リベラル」という言葉が図の左半分としてイメージされるが、世界には図の左半分は存在しない。英米のリベラルは右上である。著者もいうように、英語でpacifismというのは蔑称であり、安倍首相の「積極的平和主義」もproactive pacifismという奇怪な英語だ。

朝日の罪は、このように空想的な政策アジェンダを戦後ずっと続けてきたことだ。平和主義は55年体制では社会党の唯一の政策だったが、村山政権で崩壊してしまった。英米のリベラルは「保守革命」への対抗軸として「第3の道」を打ち出し、大陸でもピケティなどは大きな政府の理論武装をしているが、日本では集団的自衛権の行使を容認するかどうかというNYタイムズでさえ理解できない論争をしている。

だから真の政策論争は、朝日とともに戦後リベラルの平和主義が滅亡したあとに始まる。それは大きな政府か小さな政府かという対立軸しかない。そして図を見ればわかるように、日本では与野党ともに大きな政府で、小さな政府を実現する政党がほとんどない(維新は政権からはるかに遠い)。

小さな政府にもいろいろなバリエーションがあるが、基本的にはグローバル資本主義を肯定するか否定するかという対立だろう。真の政治的論争は、まだ始まってさえいないのである。