来年の国会では集団的自衛権をめぐる論戦が始まるが、せめて本書に書かれている基礎知識ぐらい理解してほしいものだ。本書のQ31では、今年6月15日の「後方支援、独軍55人死亡 アフガン戦争」という朝日新聞の記事を取り上げている。これは「集団的自衛権 海外では」というシリーズの1本で、ドイツの例をあげている。
1990年代に専守防衛の方針を変更し、安倍首相がやろうとしている解釈改憲の手法で北大西洋条約機構(NATO)の域外派兵に乗り出したドイツは、昨年10月に撤退したアフガニスタンに絡んで計55人の犠牲者を出した。[…]
2001年の米同時多発テロで、NATOは米国主導のアフガン戦争の支援を決定。ただ、独国内では戦闘行為への参加に世論の反発が強く、当時のシュレーダー政権は米軍などの後方支援のほか、治安維持と復興支援を目的とする国際治安支援部隊(ISAF)への参加に限定した。
ISAFは国連の安保理事会の決議にもとづいて派遣された集団的安全保障の活動であり、NATO条約にもとづく集団的自衛権とは別である(ドイツはNATOにもとづいて陸軍特殊部隊も派遣している)。この記事は両者を混同し、ISAFを集団的自衛権の例としてあげている。
国連が本来、想定しているのは集団安全保障のための国連軍であり、その手続きは国連憲章の第7章にくわしく書かれている。集団的自衛権は、その末尾(第51条)に書かれているだけだ。これは各国の「権利」を書いただけで、国連の活動についての規定ではない。
これは些末な話のようにみえるが、きわめて重要な違いである。集団安全保障は、憲法が想定している「諸国民の公正と信義に信頼して」行なう国連活動なのだ。これを禁止すると、湾岸戦争ときのように世界からバカにされるだけでなく、いざというとき国連に助けてもらえない。
しかし正式の国連軍は、一度も結成されたことがない(朝鮮戦争や湾岸戦争は変則)。安保理事会で拒否権が発動されるからだ。この難点を回避するために利用されるのが集団的自衛権である。国家の自衛権は自然権であり、国連が認める必要はない。集団的自衛権は安保条約で最初から認められている権利であり、今さら閣議決定するような問題ではない。
ただ国連の集団安全保障体制が機能しない現状には問題がある。集団的自衛権がきらいな野党やマスコミは「何でも反対」を叫ぶのではなく、国連部隊がもっと機動的に活動できる国連改革を提案してはどうだろうか。