終身雇用の時代に会社人間となった私にとって当時、転職とは大きなハードルでありました。何がハードルかといえば転職市場があまり存在しなかったということが挙げられます。80年代は外資がまだ肩身の狭い思いをしていた時代ですが、そのわずかな募集という市場の狭さにやっぱり今いる会社に「居心地の良さ」を感じたこともあったでしょう。
ところが90年代に入り企業のリストラが始まると同時に日本に外資が次々と進出し、新たなる転職市場を作り上げました。更に2000年代に入り、中国や韓国など日本を追い上げる企業が日本人に破格の条件の雇用を提供しました。
私は90年代初頭から北米にいたので北米の転職市場はそれなりに見ていましたし、自社の人材募集などで集まってくるレジメには学歴より職歴が先に来る、そしてそれより「何をしたいのか」という目的が先に来るスタイルに会社は踏み台、だが、使う会社もその素質を使い込むという双方のメリットを重視した発想がなかったとは言い切れません。
例えば当地では営業職などではアカウントレップと称するポジション制で一人の担当者が顧客のすべてを見る仕組みになっています(レストランのサーバーさんも同じ人が面倒見るのと同じです)。そのアカウントレップが退職したらどうなるか、といえば顧客をごっそり引っ張っていくことが往々にして起きるわけです。私もしばらく話していなかった担当者から電話があると「いや、実は会社を変わって今、○○にいるんだけど、こちらでは前の会社より価格も安いし、こんなメリットもある」と勧められるケースもあります。雇用契約でそれを禁止している場合もありますが、必ずしもきちんとしていないこともあるのでしょう。
つまり、雇う側にしてみればこの人の採用によりこれだけの仕事の増大が大いに期待できる、というお土産が欲しいところもあるのです。一方の雇われる側にしてみれば職が変らないとタイトルが上がらない、給与が上がらないなどの障害が生じやすくなりますのである程度のスキルを持っている人は若いうちは数年で職を変わり経験を積むメリットはあるのだと思います。
中国や韓国はむしろ、日本の技術者の採用が目立っていました。日本の技術のブラックボックスの中が知りたい、というわけでしょう。日本企業はその秘匿の契りを被雇用者と交わしていますからそのような漏えいは後々に新聞沙汰になることはご承知の通りです。ただ、私はあれは氷山の一角であり、もっとマイナーな情報漏えいは相当起きている、そしてその情報を引き出した企業側はその後、その人を残すかどうか厳しい天秤にかけるのでしょう。
そんな日本で今、安倍政権が地方の時代を標榜しています。が、案外、この問題は安倍政権の足元に最大のネックがありそうです。それは地方の役所には市町村を変える優秀な人材が不足していると言われています。そのために中央の役人を地方に出さねばならないのですがこれができないのです。つまり、嫌がるわけです。理由は簡単で、出世から完全に遠のくし、家族は嫌がるからでしょう。確かに霞が関あたりに勤めていた人が地方の役所に出向となれば都落ちと揶揄されそうです。一般企業でも同じですがその許容度が役人にはまだありませんし将来予想がたたないこともあるでしょう。
ある意味、役所こそ、転職市場をもっと受け入れたら良いと思うのですが、独特の気風と基準がありますからそうはいかないのでしょう。
非正規はどうでしょうか? 今や全体の4割にも達する大市場であります。雇用関係に北米のようなフレキシビリティがないことから生まれた非正規は日本のみならず韓国でも大きな比率となり、社会問題すら起きています。非正規が誕生した初期の頃はそれでもよかったと思います。特に女性の就職がしやすくなったことで社会進出のハードルは下がったのですが、逆に結婚しない女性が増えたのも事実でしょう。年頃の女性に「ご結婚のプランは?」と聞けば「全然考えていない」「相手がいなし探してもいない」「一人が楽」「頼れる男が少ない」と男性には耳が痛い理由もあったりします。
ここから見える日本の将来像はしがみつく「中高年層」と「転職癖のついたミドルエイジ」それに「人生を謳歌する若年層」なのでしょうか? もちろんこんなことを書けば、「好きで非正規になったわけではない」と噛みつかれそうです。ドラマ「ルーズベルトゲーム」でも社員になりたいという主演の気持ちがストーリーラインのバックボーンでした。
ですが、社員になれる、なれないの話はともかく、世の中の趨勢がそうであることには変わりありません。労働市場の流動化と共に今後は外国人従業員との競合もごく普通になってきます。その時、勝ち抜けるのはただ一つ。その人に「売れる才能」があるかどうかです。技術なり、営業トークであったり、努力であったり、何か秀でるものがその人の個性として押し込めるものになると思います。
植木等がサラリーマンほど楽なものはないと歌った時代は遥か彼方の時代であります。いまや、社員も役人も非正規も必死で汗をかいて自分磨きをしないと次がない時代です。そしてその子供たちはその親の背中を見て育つという事でその先の日本の就職スタイルを作るという意味をなすと最後に付け加えておきましょう。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。