戦後70年を人の一生にたとえてみると --- 岡本 裕明

アゴラ

1945年、日本の新たなる時代がスタートしたとすれば、7歳まではマッカーサーのGHQに育てられ、その間、吉田茂という「先生」が日本のあり方を仕切り直しました。日本は新しい生き方について「幼少時代」を学びながら過ごしたといえましょう。日本の代表的歴代の首相といえば明治の伊藤博文、大正の原敬、昭和の吉田茂でしょう。その中で吉田茂も夫人の家系を通じる大久保利通が明治維新以降の近代日本のスタイルを作り、吉田も踏襲したといえます(大久保の次男、牧野伸顕の長女雪子が吉田茂夫人)。


それは天皇親政(王政復古)を打ち出し、国を治め、経済を繁栄させることであり、その発想は時代の中で変化しながらも国民の間で浸透し続け、生き続けてきました。大久保利通は征韓論で西郷隆盛とぶつかるわけですが、吉田茂も軍部に対して非常に冷たい視線を送り続けてきたのです。

戦後70年の歴史をもう少し概観すれば安保という大久保の意志に沿うであろう体制を通じて20代から30代は経済活動にまい進したとも言えます。正に高度成長期を通じて大いに日本が伸びた時代であります。が、45歳になってバブルという落とし穴にはまってしまいました。個人的には10年強でその「修復」に至ったものの60歳を間近に新たなるチャレンジには踏み込めず、次の世代にバトンタッチしているのが今の状態というのが私の非常におおざっぱな戦後70年の流れの認識であります。

言い換えれば、高齢化する日本は戦後、奇跡の復活を通じて波乱万丈な人生を歩んだ一つの歴史の終盤に差し掛かっているとも言えるのです。あと10、20年もすればすっかり新しい世代になり、戦争の話どころか、高度成長期、安保、ジュリアナ東京にバブル崩壊も「そんなことがあったんだ」という昔話になるのでしょう。ただ我々は歴史を引き継がなくてないけない使命があるともいえます。それはグローバル化や世界規模の戦争がずっとない平和で地球儀ベースの経済の繁栄を享受する時代の中で思想的には大久保利通が作り上げたレールは継続すべきものなのでしょう。

その経済がもっとも繁栄した時期に特徴的な首相として君臨したのが田中角栄でありました。小学校しか出ていない首相が日本に与えた精神的影響は大きく、一般庶民に飛躍の夢を与えたのは事実でありましょう。一方で不動産を通じて国民に富の形成を促し、自らがそれを率先しリードしたのも特徴的でありました。戦後直後のものがない時代、食べるものがない時代を通じて日本人の奥底にあった物欲を現実のものとし、日本人を覚醒させたとも言えます。それがとどのつまりがバブル崩壊であります。

こう考えてみると日本人の物欲、消費、食に対するこだわりは非常に高いものであると思われていますが、ひょっとすると時代と共に大きな温度差が生じていないでしょうか? 日本人がグルメかどうか、その食文化や食生活の変化からすると相当変質化していると考えています。物欲にしてもしかり。1980年ごろにルイヴィトンを求める日本人観光客がパリ本店に大行列したと記憶していますが(私も81年にパリで確かにその一員と化していました)今の若者にとってヴィトンの位置づけは変ったと思います(売れているかどうかというより所有する意識の変化です)。

ここまで書いてお気づきになった方もいると思いますが、今日のポイントの一つに平成の首相って誰だろう、と疑問がわいています。明治、大正、昭和と比較的分かりやすいラインであったのですが、平成は27年で16人の首相が誕生していますが、多くの方にとって印象があるのは小泉純一郎、安倍晋三のお二方でありましょう。未来のことは分かりませんし、平成を代表する首相は平成が終わらないと判断できません。これは将来の宿題であります。しかし、過去の流れを踏襲し、新しい日本を作り上げているかという大きなピクチャーでモノを見ると違ったものも見えていくるかもしれないと思いませんか?

戦後70年という節目で様々なイベントもあり一年を通じていろいろ考えさせられることは多いでしょう。我々の日本を深く掘り下げるには良い機会でありましょう。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月17日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。