「素粒子」などの代表作が日本語にも翻訳されている仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏の最新小説「服従」の独語訳が出版されたが、同氏はドイツ週刊紙「ツァイト」とのインタビューの中で、「自分の小説と風刺週刊紙『シャルリーエブド』本社襲撃テロ事件との関係は全くない。テロリストは決して悪魔的な存在ではなく、明確な目標を追及する戦闘家だ」と述べる一方、「宗教なき社会は生存力がない。自分は墓地に足を運ぶ度、われわれ社会の無神論主義にやりきれない思いが湧き、耐えられなくなる」と率直に述べている。
▲新作を発表したフランスの作家ミシェル・ウエルベック氏(ウィキぺディアから)
同氏の小説は、2件のテロ事件がパリで起きた日の1月7日、発表された。そのため、新作とテロ事件には何らかの関係があるのではないか、といった憶測情報が流れていた。著者は今回、それに対してはっきりと「関係がない」と答えたわけだ。
小説の内容は、2022年の大統領選でイスラム系政党から出馬した大統領候補者が対立候補の極右政党「国民戦線」マリーヌ・ル・ペン氏を破って当選するというストーリーだ。フランス革命で出発し、政教分離を表明してきた同国で、将来、イスラム系政党出身の大統領が選出されるという話はフランスばかりか欧州でも話題を呼んでいる。単なるプロパガンダ小説ではなく、現実味のある近未来小説というわけだ。
ここでは、同氏の「墓地に行けば、無神論主義のわれわれの社会に対し、やりきれない思いが襲う」という発言に注目したい。この発言は、神を失う一方、他の神(イスラム教)が拡大する欧州社会で生きている同氏の間接的な信仰告白だろうか。
他の神を信じる群れはそれがどのようなものであったとしても神を称え、神の国を求める。一方、世俗化社会の欧州では、生き生きした神の波動を感じる機会が少なくなってきた。
英国から始まった「神はいない」運動が欧州全土に広がる一方、路上でイスラム過激派グループがコーランを無料配布している。そのようなシーンを目撃する度、欧州の知識人には神を失った喪失感が襲ってくるのだろうか。
当方はこのコラム欄でウィーンの中央墓地の話を書いたが、欧州の墓地は日本のような墓場といった暗い雰囲気はなく、都会に生きる人々にとって神の吐息を感じることができる数少ない場所だ。その意味で、同氏の「墓地で神の吐息」を感じるということは文学的な表現というより、非常に現実感覚に基づく指摘だろう(「中央墓地の華やかさ」2006年8月25日参考)。
しかし、生きた神を感じることができる場所が人生を終えた人々が眠る墓地にしかなくなったとすれば、淋しいことだ。イスラム教過激派グループが路上でコーランを掲げ、アラーを称えるのを見る度に、西側知識人は“やりきれない思い”が湧いて耐えられなくなるわけだ。「宗教なき社会は生存力がない」という発言は、イスラム過激派テロ事件直後だけに、一層重みを増す。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年1月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。