デフレは消費抑制、インフレは消費促進?

池尾 和人

以下のような主張は、しばしば耳にするし、一聞するだけだともっともらしく聞こえる。先日のピケティ・シンポジウムの際にも、パネリストして参加されていた西村康稔・内閣府副大臣が同じ趣旨の発言をされていた。

デフレだと実質的にお金の値打ちが上がっていくので、消費を遅らせてお金のままでもっていようとする。これに対して、インフレだとお金の値打ちが下がっていくので、お金のままでもっていると損になるから急いで消費しようとする。


しかし、こうした主張は論理的に妥当すると限らないし、この間の日本経済の実際も、こうした主張に反するものであるように思われる。


インフレの場合であっても、予想されるインフレ率よりも銀行預金の金利の方が高ければ、銀行に預けておけば別に損にならない。したがって、慌てて支出する必要はないといえる。問題は、名目金利と予想されるインフレ率の差である実質金利がどうかである。上記の主張を好意的に解釈すれば、デフレの場合には、(名目金利はマイナスにはできないという)ゼロ金利制約があるので、実質金利が高くなり、インフレの場合には(何らかの理由でフィッシャー効果が十全に作用することはなく)実質金利が低くなる(場合によっては、マイナスになる)と想定しているのであろう。

もしこの解釈が正しいとすると、上記の主張は「実質金利が高いと消費が抑制され、実質金利が低いと消費が促進される」ということをいいたいのだと考えられる。しかしながら、大学の経済学部であれば、2年生くらいで「実質金利と貯蓄の関係が必ずしも正とは限らない」ということを習うはずである。

すなわち、いま実質所得を一定として実質金利が下がると、代替効果については確かに貯蓄を減らして(その分消費を増やす)ように作用するけれども、所得効果については貯蓄を増やして(その分消費を減らす)ように作用する。それゆえ、所得効果>代替効果であれば、実質金利の低下に伴ってむしろ貯蓄が増えて、消費が減ることもあり得る。

代替効果、所得効果という概念については、経済学の教科書で勉強してもらうとして、直観的な例としては、次のようなものがあげられる。老後に備えて一定額を貯める必要があるとすると、金利が低いと毎年積み立てる額は、金利が高いときよりも大きな額が必要になる。例えば、10年後に1000万円貯めようと思うと、金利がゼロだと毎年100万円貯蓄しなければならないけれども、金利が10%であれば毎年54万円ほどで済む計算になる。かりに手取りの年収が300万円だとすると、前者の場合200万円が消費に使えるだけだが、後者の場合には246万円が消費に使えることになる。

インフレによる実質金利の低下は現在の所得の将来価値を低下させる。将来に同じ購買力を持ち越そうとすれば、いま多くの額を貯蓄に振り向けなければならない。生涯にわたる予算制約線が内側にシフトするという意味で貧しくなるということに伴う効果が、所得効果である。最近の日本経済の経験は、こうした所得効果が無視しがたいことを示しているように思われる。物価が上昇すると、急いで消費しようとするのではなく、将来の生活防衛のために消費を手控えて貯蓄を増やすような行動をとる人が、むしろ多いというのが実情のようである。

インフレになったときに消費が増えるためには、所得効果を凌駕する程度に将来の所得も増えるという期待が伴わなければならない。

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池尾 和人@kazikeo