福田恆存の政治評論は、いま読むと常識的でつまらないが、むしろ彼が懸命に批判した「護憲派」の主張がおもしろい。1979年に『文藝春秋』に掲載された論文「新『新軍備計画』」で、森嶋通夫はこう主張した。
万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える。(強調は引用者)
これは福田も認めるように、論理的には一貫している。完全な非武装中立を貫くなら、戦争しないで降伏するしかなく、それが正しいのだ。ソ連や中国の支配下に置かれても、相手も人間だから話せばわかる。戦争でたくさん人が死ぬよりいいじゃないか――という論理は正しい。真ではない仮定にもとづく結論はつねに真なのだ(対偶を取ればわかる)。
問題は、相手が話せばわかるかどうかである。ISが話せばわかる相手なら、人質は解放されたはずだ。つまり平和主義の人々の議論には、すべての人間は相互理解できるという暗黙の仮定が置かれているのだ。これは検証可能な命題であり、明らかに真ではない。今回の事件は、その反証である。
しかし何とかとハサミは使いようだ。小沢一郎氏はぜひ山本の絶対平和主義を宣伝し、戦後のリベラルが何を錯覚してきたかに気づかせてほしい。それが彼の政治家としての最後の仕事だろう。