君子「イスラム国」に近寄らず --- 北尾 吉孝

アゴラ

所謂「日本人人質事件」にあって、「外務省は昨年9月下旬と10月上旬に電話で2回、10月中旬には職員が直接面会して、後藤さんにシリアへの渡航中止を求めたが、止められなかった」と報じられます。ある人に「中国古典には何か今回の件で参考になることはあるのですか?」と問われ、私は孔孟の言葉を挙げて次のように答えました。


『孟子』の「盡心(じんしん)章句上の二」に、「命(めい)に非ざる莫(な)きなり、其の正を順受(じゅんじゅ)すべし。是の故に命を知る者は、巌牆(がんしょう)の下(もと)に立たず。其の道を尽くして死する者は、正命なり。桎梏(しっこく)して死する者は、正命に非ざるなり」とあります。

此の孟子のは、「人生において命ならざるものはない。故に人はその命のままに順(したが)って受けねばならぬ。故に本当に命を知る者は、決して巌牆の如き崩れかかった石垣のような危険な場所には立たぬのである。自らが往くべき道を尽くして死ぬ者は、自然のままに命を尽したといえるが、私心によりて罪を犯して死ぬような者は、正しい命であるとは言えないのである」という意味です。

あるいは『論語』の「泰伯(たいはく)第八の十三」に、「篤(あつ)く信じて学を好み、死を守りて道(みち)を善くす。危邦(きほう)には入(い)らず、乱邦には居(お)らず。天下道あれば則ち見(あらわ)れ、道なければ則ち隠(かく)る。邦(くに)に道あるに、貧しくして且つ賎(いや)しきは恥(はじ)なり。邦に道なきに、富みて且つ貴(とうと)きは恥なり」とあります。

此の孔子の言は、「しっかりとした信念を持って学問を好み、死をかけて正しい道を守る。危険な国には入らず、乱れた国には住まない。天下太平であれば、出て仕える。太平でないなら、世間を逃れて隠れ住む。政治が公明正大なのに、自分が貧しく卑しい存在なのは恥である。政治が暗黒なのに、自分が金持ちで地位が高いのも恥である」という意味です。

自民党副総裁の高村正彦氏は一昨日、後藤健二さんに関して「日本政府の警告にもかかわらず、テロリストの支配地域に入ったことは、どんなに使命感が高くても、真の勇気ではなく蛮勇と言わざるを得ない」と言われ、また「後藤さんの後に続く人たちは、たとえ使命を果たすためでも細心の注意を払って行動してほしい。個人で責任を取り得ないこともある」と言われたと報道されています。

NHKに拠ると例えば今ある日本人大学生は、『今月下旬にもシリアに入国しようと渡航計画を進め(中略)、現地で「イスラム国」の関係者に話を聞いたり、シリア国内を撮影したりする計画』を有しており、外務省からは渡航の自粛を求められているようです。此の大学生はもう一度、上記の孔孟の言葉の真意をよく汲み取り考え直すべきだと思います。「君子危うきに近寄らず」ということだと思います。


編集部より:この記事は北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2015年2月6日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった北尾氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は北尾吉孝日記をご覧ください。