前回の補足をすると、外地で邦人が過激派組織や誘拐犯に拉致されたとき、
外務省が日本人救出に積極的でないことはしばしば指摘される。昨年11月のブログ(「中山恭子氏の胆力」)で、その問題に触れた。
本来、邦人保護が外務省の重要な任務なのに、現地の政府首脳などVIP(重要人物)との交流や、ODA(政府開発援助)という悪く言えばバラマキ政策によって自らの特権を維持することに熱を入れる大使や外交官が少なくない。要するに、大事な仕事をさぼっているのだ。
外地の駐留邦人や日本人観光客に対して「自己責任」を強調することが、外交官の怠慢を隠すための巧妙な言い訳になっているとすれば、見逃せない。
国民各自が自己責任の気持ちを持ち、自分の安全に注意しつつ外地に赴く必要はある。だが、それでも拉致被害や強盗、詐欺に会う危険をゼロにはできない。その際、外務省は邦人救出に全力を上げるのは当然の義務なのだ。
日下公人氏は近著「いよいよ、日本の時代がやってきた」(ワック)の中で外務省を次のように批判している。
カネ(ODA)を出さないからといって(その国との)友好関係がなくなるのならば、「いままではカネのばらまきだけで関係を保っていた」ということになる。そういう大使は全部クビにすればいいのである
インターネットが発達しているのだから、いま大使館でやっているような仕事は首相官邸に何十人か担当を置けば外交はできる。いま百九十カ国に大使館を置いているが、それほど多くの国に大使を配る必要などない
一方、自国民や自国企業への行政事務、相手国国民に対するビザの発給などを行う総領事館は六十にすぎない。「大使は半分に減らし、日本国民が外国で頼りにする領事こそ増やすべきだ」と日下氏は注文をつける。
バラマキや現地VIPに対する賄賂に近いODAもかなりあるだろうが、日下氏が言うほど、ODAが役立っていないとも思えない。以前、ブログで紹介した「日本人になりたいヨーロッパ人」(片野優、須貝典子著)で書かれているように、ODAを通じた外交が日本の国益になっている例も少なくない。だから、ODAや大使館も一定程度必要ではある。
しかし、日本国民を守る領事館とのバランスを考え、効率的な配置が求められるのは間違いない。
外交官は地道な邦人保護の活動こそが大事なのだということを肝に銘じてもらいたい。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。