大塚家具

小幡 績

父と娘の戦いで話題になっているが、形式的な正当性ということでは、断然、現社長の娘に分がある。

しかし、本質は、もっと本質的であり、単純だ。


父は、創業者であり、私も、中学生の時、通学途上に、大塚家具津田沼店が巨大にそびえ立っていたのを見て、なんとなく不思議に思っていた。かつても巨大店はあり、ハヤミズとか、いろいろあったと思うが、何かぴんと来なかった。

それが、21世紀にはじけた。父親の成功は、バブル崩壊後の、ある種のバブルに乗った成功だった。

円高を利用し、さらにそれに規模を効かせ、コスト競争力のあるモノを、イタリア製の高品質家具を最安値で、しかも大量展示で圧倒する、という手法だった。

これは、当時は大変、時機を得た素晴らしい戦略だったが、そのときしか成り立たないものだった。

この戦略の本質は、ユニクロと同じで、仕方なく買わなくてはいけないモノを、手間を省いて一発で決めるときにどこに行くか、そのような見る目もなく、やる気もないが、カネは少しはあり、必ず買う人が、なんとなく最初に思いつくブランドとしてのポジションを確保した、ということだ。

寒くなったから服を買わないと。服にはそれほど興味もやる気もない。とりあえず、ユニクロに行っておけば、価格的に割高であることはないし、品質は一応まともで、気に入ったモノがあるとは思えないが、そんなことはどうでもよく、効率よく、すぐに買い物が済むかどうか、と言う意味で、抜群にコストパフォーマンスの高いのかユニクロだ。手間、エネルギーパフォーマンスが高い。しかも、期待していないから、かっこわるくても、品質がそこそこに過ぎなくても、買った後、後悔しない。

一番おいしい客層をマスで捉えているのだ。

大塚家具も同じだ。

みな、どこで家具を買っていいか、わからなかった。地元の町の家具屋は、品質も価格も妥当なのかどうかさっぱりわからない。百貨店は高いし、ちょっとだけ、上の階にあるだけだ。一方、ディスカウンターは、なんかぴりっとしない。

大塚家具は、いいのか。宣伝を見て、友人たちの行動をみて、ショールームが大きいから何でもある、ああ、家具選びでいろんなところに行くのは面倒だが、ここにだけ行って、一発で決めればいいか。

結婚したカップル、引っ越しした家族は、ここで、一発で決めた。トータルで家具を揃えた。エネルギーに関する、ショッピングに対する精神的時間的コストパフォーマンスが良かったのである。

そして、客としては、見る目もなく、経験もなく、しかも、一式揃えてくる。こんなおいしい客が、ただ、ぱっと思いつくというだけで、うじゃうじゃ来てくれたのである。

そりゃあ儲かる。

しかし、時代は変わった。

リーマンショックでバブルが終わり、家具はまっさきに売れなくなった。

選択肢はものすごく増えたし、特に若い世代は、いろいろ探すことを苦にしないどころか、それを楽しむ人々だ。カップルなら、一度で済ますのはもったいない。何度でもデートのネタになるのだ。

だから、娘の久美子氏に変わった後は、リーマンショック後だから、うまくいかないに決まっているし、儲かるはずもない。

そこを、コンサルタント的な合理的な手法で立て直した久美子氏は、まともだ。

しかし、美貌の一方で、何の戦略的魅力もない。だから、一気に逆転することはできない。

一方、父の方は、典型的な創業者で、自分の過去の成功にすがりついている。それに気づいていない。自分が優れているし、自分は会社のためにすべてを捧げていると思っている。思い込んでいる。

大塚家具の接客は、うっとおしいだけで、あれさえなければもっと行くのに、と思うが、しかし、いずれにしても、いまや大塚家具に行く理由はない。ぱっと思いつくブランドは多数あるし、安直なのはニトリ、少し勇気があればイケア、カネと趣味のどちらかがあれば、中目黒、あるいはいろいろ探す。

ポジションのアドバンテージがなくなった大塚家具は何をしても、ビジネス的にはどうにもならないだろう。

ただ、久しぶりに、M&Aおよび、経営権を巡る、株主を巻き込んだ相場ゲームとしては、父娘の争いもあって、メディアエンタメ的には楽しい事件だが、本質は、なんのことはない。一つのビジネスモデルが終わった、ということだけなのだ。