預金保険料を引き下げることが正式に決定した。これに伴って、預金保険料が引き下げられた分は預金者に還元すべきであるという主張が一部で見られる。こうした主張は心情的には理解できないことはないものの、預金保険料の負担の帰着はそう自明なことではないので、簡単に解説しておきたい。
まず、預金の決済手段としての側面を無視して、純粋の資金運用手段であるとして考えてみる。そして、資金運用手段としての預金と完全に代替的な短期金融資産(短期国債をイメージし、以下では短期国債と呼ぶ)の金利が日本銀行によってrに固定されているとしよう。
すると、預金者が合理的であれば、預金金利がこのrよりも低いようであれば、預金はせず、すべて短期国債で運用するすることになり、預金は全く集まらない。逆に、rよりもほんの少しでも預金金利を高くすれば、短期国債で運用されていた資金がどんどん預金に集まることになる。要するに、この場合には、銀行はrのレベルで水平な預金需要(資金供給)曲線に直面していることになる(下図を参照)。
このように預金需要(資金供給)曲線が水平なときには、預金保険料の変化によって預金供給(資金需要)曲線がシフトしても、銀行の余剰の大きさが変わるだけである。すなわち、預金保険料は銀行(の株主)が負担しているのであって、預金者が負担しているわけではない。したがって、預金保険料が下がったからと行って、そもそも負担していないものを預金者に還元しろというのは、論理的に筋の通った話だとはいえない。
しかし、預金は決済手段としての側面ももっている。そこで次に、預金が決済手段として使えるという便益を考慮し、その限界便益が逓減するようなケースを考えてみよう。このケースでは、たとえ預金金利がゼロでも一定額までの預金は需要される。支払いその他のために必要だからである。他方、決済手段は無制限には必要ではないので、あるところで飽和して限界便益がゼロになると考えられる。次の図では、Dでその飽和点を表している。
預金需要(資金供給)曲線が右上がりの部分で預金供給(資金需要)曲線と交わる場合には、預金者も預金保険料の一部を負担しているといえる。しかし、Dより右側で交わる場合には、最初に考察したケースと結論は同じである。
日本の現実は、どちらに近いのだろうか。しばしば指摘されるように家計金融資産の過半が現預金で保有されていること考慮に入れると、決済手段として必要な範囲内だけで預金が保有されているとは考えがたいというのが妥当なところではないか。さらに現状は、rがほぼゼロになっている。したがって、預金需要(資金供給)曲線は押しつぶされて水平になっていると考えられる。
こうしたことからすると、預金保険料は預金者が負担しているというのは、経済学的には正しい議論とはいえないと思われる。預金金利が低いのは、日銀がゼロ金利政策を続けているからにほかならない。ただし、ここで短期国債と呼んだ、預金と完全に代替的な金融資産が存在し、その金利水準を中央銀行がコントロールしているというのが、議論の前提となっていることは再確認しておきたい。この前提が妥当でなければ、結論も変わり得る。
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池尾 和人@kazikeo