キャリアを通じて何を身につけるべきかという話 --- 宇佐美 典也

就活の季節ということもあっていろんな人から進路の相談を受けたり、いくつかのメディアからの取材を受けたりしているので、改めて「キャリア形成」というものに対して自分が考えていることを書き記しておこうと思います。


まずもって自分自身のキャリアというものを振り返ると、

・東大の経済学部を卒業して(2005年)

・経済産業省に入省して7年半ほど働いて(2005年~2012年:23~30歳)

・その後2年ほど半ばフリーランスとして放浪して(2012年~2014年:30~32歳)

・仲間内で再エネに関する会社を立ち上げて1年ほどたった(現在:32歳~33歳)

というところでございまして、未だ半人前なのですが、一丁上がる前の半人前だからこそ見える世界というものもあると思っていまして、あまり範囲を広げず上記の「自分自身のキャリアを通じて重要性を痛感した3つのこと」をまとめたいと思います。

①専門性とコミニュケーションツール

まずもって言いたいのが大事なことは「普遍的な専門性とコミュニケーションツールを持つ」ということの大切さです。

この辺の私の価値観は「キャリアの一貫性とかマジ無用」などと言い切るちきりん氏とは真っ向から対立するのですが、30歳を超えてフリーランスとして活動するようになった時期に、本当に私がよく言われて悩んだ質問は

「お前は確かに頭がいい。多少の度胸もある。で、お前は一体何ができるんだ?」
という質問です。

組織の中で仕事をしていると、当たり前のように、同僚と一緒に働いてお互い助け合いながらプロジェクトを進めるわけです。基本的には仕事というものはチームでするものですから、個々人が直接的に責任を問われるケースは稀で、問われても「チーム」なり「役割分担」なりの逃げ場があります。従ってそれなりに一生懸命仕事してうまく立ち回れば追い詰められることは稀です。

しかしながら、組織という枠を出て人間関係がはがされて一人の人間として裸になってしまうと「一体お前は何ができるんだ?」という直接的な問いにさらされ、それに真っ向から応えることが求められます。そしてそれに応えられなければ誰からも求められず、社会的に孤立していきます。そして一度孤立したらそこから抜け出すのは至難の業です。

こうした孤立を避けるためには、まずもって人に対してアピールすべき自分の能力が必要で、加えて何らかの形でその能力を外に対してアピールするコミニュケーションツールが必要になります。

幸いにして私の場合経済産業省で度々法律を作らされた経験で「規制に関する基礎的な知識」と「書く能力」というものが鍛えられていました。なので瓢箪から駒なのですが、ひたすらブログを更新しまくるうちに自分に注目してくれる人が現れ、その人たちに手を差し伸べられる形で再エネ業界に足を踏み入れ、その業界の規制を学ぶことでなんとか自分の立ち位置を再び築くことができました。

そう考えるとやっぱり自分を支えたのは「業法に関する専門性」と「書く能力」であったと思うわけです。

②自分自身の仲間を作る

続いて言いたいのが「自分自身の仲間」ということの大切さです。
①でも少し述べましたが、社会において尤もおそれるべきことは「孤立する」ということだと思うわけです。この辺フリーランス時代に身に染みて痛感したのが「自分は社会に生かされているんだ」ということです。当たり前のことですが、人は一人では何もできません。いくら天才バッターや天才サッカー選手でも、活躍する場と仲間が与えられなければ、当然ながら何もできません。

社会の中でこそ人間は人間として活躍できるのです。

会社にいればもちろん会社がある程度自分が活躍できるフィールドを与えてくれるわけですが、今の時代いつまでも会社に頼れるというわけではありません。だから会社で働きながら徐々に、会社の名刺ではなく自分の名前で通用する「仲間」を少しずつ作っていく必要性があると思うわけです。

振り替えるにフリーランス時代の私の二年間というものは、「経済産業省」という組織ブランドに依存したコミュニティを捨て、「宇佐美典也」という名前で通用するコミニュティをつくる過程でした。その中でキーとなったのはtwitterーブログーFacebookといった有象無象が集うソーシャルメディア、シェアハウスというリアルな人間の集う場、でして、そこで出会った縁もゆかりもない人たちが、今一緒に働く仲間となっています。

私自身の官僚時代を振り返ると「学歴と実績と実力があればなんとかなる」という奢り高ぶりがあって、「経済産業省」というブランドが剥奪するとあっという間に社会のはざまに転落して「肩書き捨てたら地獄だった」という状態に陥ったわけですが、今一緒に働いている仲間との関係は「宇佐美典也」という私自身のセルフブランドで築いたもので、私が誠実である限りは、そう容易く失われるものではないと思います。。。(あの惨めで寂しい日々には二度と戻りたくはないので願望も入っているかもしれませんが。。。)

そんなわけで一定の専門性やコミニュケーションツールを身に着けたら、それを利用して自分自身の仲間・コミニュティを作っていく、そういう活動が大切になってくるのだと思います。

③人生の師匠を持つ

最後に言いたいのは「人生の師匠を持つ」ということの大切さです。
会社にいると様々なルールで行動が縛られるわけでして、そのルールを守ってさえいれば人生大きく道を踏み外さないようにできています。ところが、独立してしまうと良くも悪くも自由なわけでして、少し精神的に荒れたり、調子乗ったりすると、しばしば社会常識に欠けた行動をとってしまうことがあります。

しかしながらそういう時も、社会は冷静に、そして残酷に人を評価しているわけでして「あ~この人は信頼できない」とか「こいつはイタイ奴だな」などと徐々に見捨てていくわけです。

そんな時に「お前馬鹿だな」とか「調子乗るな」とか「大丈夫か?」とか「いざとなったら助けてやるから思いっきりやれ」とか言ってくれる存在というのは大変ありがたいわけでして、私のような半人前はそういう自分の人生に興味をもって食い込んでくれる師匠のような存在がいるからこそ、歯止めが効かず人間界に留まっていられるというところがあります。

そんなわけで長くなりましたが、私としては「専門性とコミニュケーションツール」「自分自身の仲間」「人生の師匠」というものが得られるような、そういうキャリアというものを築けたら良いのではないかと思っております。

そういう中で、人は一人で生きるわけではありませんから、やっぱり周りからある程度はキャリアの一貫性なり専門性なりといったものを自然と求められていくのではないかと思っております。「キャリアの一貫性や専門性といったもの自体が大事」というわけではなく、「適切な人間関係を作るにはある時期にはそういうものが不可欠になってくる」ということなのではないか、と思うところで1か0かという議論をしてもあまり意味はないと思います。

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2015年4月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。