モノの流行りのうつりかわりが激しい「朝の連ドラ」ネタなので、標題の妥当性がよくわからないのですが、ご寛恕のほどを。
プレス・リリースによれば、同女史はスコットランド発の再生エネルギー技術、2019年日本開催のラグビーワールドカップと2020年のオリンピックに向けてのイベント・プロデュース・ビジネス、そして食品・飲料産業をプッシュしたいご様子。
同じプレスリリースによると、過去10年間の統計で日本はスコットランド対内投資の5.8%(第4位)を占めているとのこと。2013年のスコットランドの対日輸出総額は2億9500万ポンド、入手可能な直近の統計で日本人観光客は3年間で4300万ポンドをスコットランドに落としていっているようです。
訪問先は長崎と東京。プレスリリースでも日本とスコットランドの交流の長い歴史を強調していますが、長崎に立ち寄るのも、明治維新の薩長連合軍を影から支えたトーマス・グラバーの足跡を訪ねることを兼ねているのでしょう。そのほかにも、「日本の灯台の父」といわれるリチャード・ブラントン(スコットランド北部アバディーンシャー出身:日本滞在1868~1876年)や、日本における近代エンジニア教育の黎明に貢献したヘンリー・ダイアー(スコットランド中部ノースラーナックシャー出身:日本滞在1873~1882年)などの名も言及されています。
それにしても(私個人的にはそうは思いませんが)「メシが不味い」と言われるイギリス料理のなかでも、「斜め上」をいっていると思われているスコットランドの「食」。よく引き合いに出されるのは「ディープ・フライド・マーズ・バー」。あのチョコレート・スナックのマーズに衣をつけて天ぷらにしてしまうという、スコットランドで発明(?)されたフィッシュ・アンド・チップス屋のとんでもメニューです。ほかにもその昔、初の英語辞典を執筆したサミュエル・ジョンソン博士は「からす麦」の項目で、「イングランドでは馬の食べ物だが、スコットランドでは人間も食する...」と書いてしまいました。そのからす麦と、羊肉の内臓をみじん切りにしたものをハーブやスパイスと一緒に羊の胃袋につめこんだのが、スコットランドの代表料理「ハギス」です。
「揚げマーズ」ほどではないにしても、ハギスもスコットランドのゲテモノ料理の代表になっていますが、個人的な意見としては、これはちょっと不当ではないかと思います。焼肉屋でホルモン焼きを食べ慣れている日本人であればわかると思いますが、過去に貧乏人の食物として卑下されてきた内臓系も、丁寧な下ごしらえと味付けによって珍味となるのと同様、ボリュームのある穀類とコリコリした歯ごたえの内臓系を、奥深いハーブとスパイスのブレンドで味付けして熟成させたハギスはなかなか美味です。8年ほど前、真冬のエジンバラのB&Bでオーナー自らが厨房に立ってくださり、低温からじっくりと仕上げたクリームのようなスクランブルドエッグと一緒に朝食に供された香り高いハギスは、今までどこのホテルで食べたブレックファストよりも美味しかった。
要は先入観を払拭するプレゼンテーションと、しっかりとした付加価値の提供が重要なわけです。そして、これに関しては、スコットランド人には長い歴史に裏付けられた伝統があります。
「マッサン」ゆかりのウィスキーにしても、元はと言えばスコットランドの「不味い」...もとい...「野趣に富んだ」地酒でした。それがナポレオンの大陸封鎖により、フランスから上質な蒸留酒であったブランデーがイギリス国内に入ってこなくなったことをきっかけに注目されたのがウィスキーの出世のはじまりです。アルコール度の高い蒸留酒は当時の軍隊においては消毒薬兼外科手術の麻酔薬でしたから、立派な軍需物資だったわけです。
そういえば今週木曜日18日はワーテルローの戦い200周年記念日です。
マスケット銃の鉛玉で砕けた手足の骨を、錆びたノコギリでギーコギーコと切断する際に飲ませるウィスキーは、アルコール度が高けりゃそれでいい、味は二の次の「薬」でしたが、嗜好品としてのウィスキーはそうはいきません。そこでブレンドの技術を駆使して、ボルドーのワインを原料とするブランデーに勝るとも劣らないウィスキーを作ったのが、たとえばスコットランドのエアーシャーの八百屋さん/雑貨商だったジョン(ジョニー)・ウォーカーさん。
そして、ここがスコットランド人の「天才」なのですが、このブレンド・ウィスキーが定着したところで、元のキツイ原酒をもちだしてきて「こっちが正真正銘、秘蔵の酒でしてな...シングル・モルトとよんでおります...」などと言いつつプレミア付きで売りだしたわけです。
私も酒飲みなのでそう思うのかもしれませんが、このスコットランド人の商魂と自己プロデュース力、プレゼン力には、毎回ボトルの封を切るたびに「してやられているな~」と感じるわけです。
余談になりますが、ウィスキーに関しては、最近の品評会で日本勢が本家スコットランド産を上回る評価を得ていることは既報の通りです。ウィスキーは売り上げが消費者市場での流行に左右されやすい上に、たとえ流行りが来たとしてもにわかに増産、売上増加というわけにはいかないのがネックになっています。最近、それこそエリー効果でニッカの「余市」が店頭から姿を消したこともこの証左。幸いニッカを傘下にするアサヒビールや、世界の品評会を席巻している「山崎」「白州」「響」を擁するサントリーも、ウィスキー以外の飲料を取り扱っているので、こうしたウィスキー市場のボラティリティーからある程度隔離されています。しかしスコットランドの独立ディスティラリーではそうもいかず、またたとえDiageoのようなアルコール飲料のコングロマリットの傘下にあるウィスキーメイカーも、メイカー単体の短期的収支の面から売上重視の戦略に流れやすく、結果としてブランドのネームヴァリューに過度に依存したノンヴィンテージの低品質商品を市場に投入したり、コスト削減の一環として手間と費用がかさむカスク(樽)管理をおざなりにしたりということで、悪循環に陥っています。なぜカスクを重視するかといえば、それこそブランデーに負けじというウィスキーの草創期において味と風味、色合い、まろやかさを醸し出すためにシェリー樽やらバーボン樽を利用して試行錯誤を重ねたのがことの始まり。要するにおいしいウィスキー作りの根幹の問題なので、このプロセスを化学製品(着色料など)でごまかそうという最近の風潮は、スコッチ・ウィスキー、とくにシングルモルト・ファンとしては嘆かわしいかぎり。別にヒスロップさんのスコットランドへの投資勧誘努力の肩をもつわけではありませんが、ニッカさんもエリーへの恩返しということで1989年のベン・ネヴィス蒸留所買収に加えて、またスコットランドの優良蒸留所買いませんか?サントリーさんも是非。(山崎、白州の水にこだわっておられることは重々感謝、承知しておりますが...。)
閑話休題。
冗談半分、真面目半分ですが、あれだけストレスが蓄積し、結果としてインチキ・ゴマカシへの誘惑が甚だしいゴルフを、すました顔して「紳士のスポーツ」などとのたまって世界中に普及させたり(そして、そのように文句を言うと「だからこそ紳士のスポーツなのです」と開き直るつら憎らしさよ...)、とんでもない音を出すバグパイプを「楽器」と称してこれまた世界中に売りだしたり(香港の警察には中國返還後もバグパイプ隊があります)、「大英帝国」ブランドの下に自らのニーシュを切り取っていったスコットランド人たちの自己プロデュース力、プレゼン力のしたたかさは生半可ではありません。
日本の女子学生の制服やアイドル・グループでお約束のタータンチェックの由来にも似たような作為があります。
元はスコットランドのロイヤル・ファミリーであったスチュアート朝のブリテン王を支持したジャコバイト派をカロデンの戦い(1746年)に破り、以降残党を虐殺しブリテン島を平定したのは、元をただせば「ドイツ人」のハノーヴァー朝の王様とそれに率いられたイングランド人。このハノーヴァー朝の王様としてジョージ4世が初めてスコットランドを訪問したのは1822年のことでした。この国王歓迎式典を和解のシンボルとすべく、イベント・プロデュースを一任された作家のウォルター・スコット卿が、参列したスコットランド貴族の衣装を全部デザインしたのがタータンの始まりです。それまで一部のスコットランド人しか着用していなかったキルトを「伝統衣装」とのたまって、参列者全員にこれを着用することを強要し、勝手に各部族(クラン)にそれぞれ固有のタータン・チェックのデザインを押し付けたわけです。ですからスコットランドのタータンとキルトはデザイナーの個人名がはっきりとしている世界唯一の「民族衣装」です。
(できたてホヤホヤの「伝統的民族衣装」を着て、ご満悦のジョージ4世)
スコット卿の「伝統捏造」疑惑はさておき、卿がプロデュースしたタータン・チェックのグローバルな定着ぶりと、2020年オリンピックに向けて最近発表された東京都観光ボランティアのユニフォームのデザインを比較すると...あの世からスコット卿を呼び寄せて、彼に任せてみたい気になるのは私だけでしょうか。
なお、東京都はスコットランドの約7倍のGDPを誇っていることを申し添えておきます。手入れの行き届いた山崎蒸留所のカスクのように、やっぱりお金だけでは買えないものがあるということでしょう。
今回、ヒスロップ女史が来日するにあたって、スコットランドが日本に売りたいモノやサービスはいろいろあるでしょうが、やはりその根底にはスコットランドという土地が産み出した人間性とその知恵と工夫の積み重ねがあると私は思います。「自己プロデュース力、プレゼン力」などと、ちょっとイマドキの言葉で茶化していますが、現代にいたって北海油田が発見されるまでは日本と同様に資源に乏しく、人が資源だったスコットランド。大国イングランドの影に時には怯え、時にはこれにすがりつつも一定の独立を保ってきた彼らの生き残る術としての「愛すべきハッタリ」と「健気さ」、そしてあふれるほどの「冒険心」。実は我々日本人に共通するところは多いと私は感じるのです。
オマケ
ヒスロップ女史はスコットランド国民(民族)党所属ですが、今回の訪問中、在日英国商工会議所などユニオンジャックの旗の下で「連合王国」の恩恵を享受している日本在住英国人たちが、スコットランド独立運動を推進する政治家にどのように応対するのか、興味深いですね。
オマケのオマケ
いや、私、ウィスキーは、もっぱら一人飲み用なんです。