憲法第9条を削除せよ

本書のもとになったインタビューは『戦後リベラルの終焉』が出た直後の今年5月に行なわれ、冒頭では朝日新聞の誤報問題が論じられるが、私に反論しているわけではない。朝日のような偽善が葬られるのは当然で、もはや日本で「リベラル」は時代遅れのきれいごとを並べる人々だと批判した上で、著者はリベラリズム(自由主義)を擁護する。

おもしろいのは、いま話題の憲法第9条についての話だ。彼は「専守防衛の範囲なら自衛隊と安保は九条に違反しない」という長谷部恭男氏の立場を「修正主義的護憲派」と呼んで、こう批判する。

この解釈は結局、旧来の内閣法制局見解と同じですね。[この見解は]すでに解釈改憲ですよ。だから、護憲派が一時期、安倍政権による解釈改憲から内閣法制局が憲法を守ったなんて言っていたけど、これはウソで、新しい解釈改憲から古い解釈改憲を守ったにすぎない。(pp.48~9)

さらに悪質なのは、「非武装中立」とか「憲法を守れ」といいながら、自衛隊と安保を容認して、その便益を享受している「原理主義的護憲派」だ。

こういう人たちは、自衛隊と安保が少なくとも今は必要だと思っているにもかかわらず、非武装中立を言い続けるほうが自衛隊と安保を現状のまま維持するのに有効だから非武装中立を信じているふりをしましょう、ということですね。要するに、原理主義的に護憲を世間に主張しながら、実際には自衛隊と安保を認めていることを、みずから世間にバラしている。(pp.50~1、強調は引用者)

著者(井上達夫氏)は長谷部氏と元同僚の東大法学部教授だが、私と同世代である。1年ほど研究会でおつきあいしたことがあるが、リバタリアンには否定的で、東大法学部の伝統的リベラルという感じだった。その彼が「憲法第9条を削除すべきだ」という。

憲法の役割というのは、政権交代が起こりうるような民主的体制、フェアな政治的競争のルールと、いくら民主政があっても自分を自分で守れないような被差別者の人権保障、これらを守らせるためのルールを定めることだと私は考えます。

一方、何が正しい政策か、というのは、民主的な討議の場で争われるべき問題です。自分の考える正しい政策を、憲法にまぎれこませて、民主的討議で容易に変更されないようにするのは、アンフェアだ。安全保障の問題も、通常の民主的討議の場で争われるべきです。(p.53、同上)

全面的に賛成である。私もニューズウィークに「憲法第9条第2項を削除する改正案を出せ」と書いたが、意味は同じだ。憲法という制度的な防護壁で滅びゆく「リベラル」を守るのはもうやめ、安全保障はどうあるべきかという本質的な問題を国会で議論すべきだ。