たま駅長の訃報は“知事並み”の偉大さ

どうも新田です。先日ご逝去あそばされた和歌山電鉄ウルトラ駅長の故・たまさんでありますが、本日正午から同社が社葬を盛大に挙行されるとのことで、謹んでご冥福をお祈りいたします。


※ 在りし日のたま駅長(Wikipediaより)

■停滞地域・不採算路線の救世主
ワタシメが新聞記者として社会人スタートを切ったのが和歌山で、記者2年目は和歌山電鉄の沿線地域を含む県北西部(いまの岩出市、紀の川市、当時は6町)の担当として行政や街ネタの記事を書いていたこともあり、世が世なら、たま駅長の番記者を務めていたんだろうなと思って以前から興味は持っておりました。

私がその地域に生息していた2000、01年頃の和歌山といえば、「関西のお荷物」と揶揄されて県民の人がまたそれを自嘲気味に語るようなほど停滞著しい頃でした(実際その頃の県民1人あたり所得は関西2府4県で最下位)。当時、那賀郡と呼ばれた地元6町を私が回っていた頃の雰囲気といえば、国が醸し出す平成の大合併への圧力をヒシヒシと感じつつ、ある町長が「市町村合併なんぞ程のいいリストラや!」と酒席で怒鳴り散らして私がドン引きしたのも懐かしい思い出です。

14キロ余りの沿線地域は目を引くような観光コンテンツもなく、不採算路線の典型。和歌山電鉄に経営母体が移ってからも、赤字経営を脱するのは難しい状況ではあったのですが、たま駅長が救世主になってからの状況はみなさんご承知の通り。私がいた頃の貴志川町一帯は県内のメディアですらたまにしか取材に来なかったのが海外の取材陣が来ちゃうんだから、これはマジですごいです(経済効果は11億円と当時算出されたようですが)。

■知事・国会議員並み!?の訃報
地元でいかに愛されていたのか、その地域の住民の温度感は地方発のニュースを見ればわかるんですが、和歌山には強固な地元紙がなく、実質的に我が古巣が県紙的存在です。残念ながら紙面が東京で見られないのですが、ウェブに載った和歌山版の記事は文字数にして1691文字。読売は1行12 文字なので行数に割ると140行。これがどれくらいの分量かといいますと、大きなニュースがない日で地域版のトップ記事が70~100行が目安。これを大幅に超えており、大々的に掲載しているのが見て取れます。翌日も続報で70行ほど掲載しておりまして、いやはや、現職の知事や地元国会議員が死んだ場合でもこれだけの扱いになるかどうかという感じです。

記事では、たまさんの死を嘆く地元の声が掲載されています。たま電車のデザイナーさんの「廃線寸前だった貴志川線を見事によみがえらせるという、人間では到底なし得ないことをやってくれた」というコメントに感謝と尊敬の念が込められて泣かせますが、私が印象的だったのは近くで美容院を営む70代女性のこのコメント。

「さみしかった駅前が明るくなったのは、どう考えても、たまのおかげ。これからはたまに感謝しながら、住民の力で町を活性化させていかないといけませんね」

■地元住民主体で“真の恩返し”を
「たま駅長」は、昨今の地方創生トレンドや、ゆるキャラブームの先駆け的存在であったといえるわけですが、一度ブレイクしたコンテンツをフックに持続可能性のある地域再生へとつなげていけるかどうか。和歌山電鉄や地元行政はもちろん、住民のみなさんが主体的に「やればできる」「今度はがんばらないと」という機運を高めてほしいものです。それでこそ、天国のたまさんへの“真の恩返し”になるのではないでしょうか。

それにしても、たまさんは16歳でのご逝去(人間換算で80歳)最近はキャットフードが進化したせいなのか、猫業界も高齢化社会が到来しておりまして、今春実家から引き取った我が家の猫さん(♀)に至っては1994年春の生まれの21歳。

人間換算で100歳がいきいきシニアぶりを発揮し、毎日朝6時とかに「朝メシ食わせろ」「トイレ掃除しろ」とか叩き起こされ細切れ睡眠なこの頃ですが、いやはや1日でも長く幸せに過ごしていただければと思います。
ではでは。

新田 哲史
ソーシャルアナリスト/企業広報アドバイザー
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