次の「ブラック・スワン」はどこに出現するか

ECBがギリシャへの流動性支援を打ち切り、取り付けの殺到していたギリシャの銀行は閉店した。これは予想の範囲内だが、思い出すのは1997年11月の山一証券の破綻だ。

あのとき四大証券の一角が消えてなくなると予想した人は、ほとんどいなかった。「飛ばし」の責任者だった三木社長はすでに更迭され、営業出身の野沢社長は何もわからないまま記者会見に出席し、有名な「従業員は悪くないんです」という涙の会見をした。

あのときも株式市場は今のように活況で、日経平均は2万円台だった。事件のきっかけになったのは、インターバンク市場のたった10億円のデフォルトだった。11月3日に破綻した三洋証券がインターバンクで調達した資金の返済が、会社更生法で凍結されたのだ。銀行の場合には日銀が資金繰りを支援するが、証券会社はその支援対象になっていなかった。

これで市場は凍りついた。インターバンクは一時的な資金繰りで、翌日には無利息で返すものだから、リスクなんか意識していなかったのだが、この事件で「危ない銀行」にはインターバンク資金が出なくなったのだ。その標的になったのが、噂の山一を抱える富士銀行だった。

このため富士の資金繰りが急速に悪化し、約束していたつなぎ融資が止まった。そのとき山一の窓口だった私の友人は「約束が違う」と懇願したが、自社の資金繰りが危ない富士が山一の面倒を見ることはできなかった。このため野沢社長が大蔵省に陳情に行ったが、長野証券局長に「飛ばしをやった証券会社を助けることはできない」と、廃業を申し渡された。

証券会社は単なる仲介業者だから信用不安にはならない、と日銀も大蔵省も甘くみていたが、これは大きな間違いだった。山一と拓銀の破綻はブラック・スワンとなって金融市場全体に大きな衝撃を起こし、1998年の金融危機をもたらしたのだ。

これは2008年のリーマン・ショックと似ている。あのときも証券会社を守る必要はないと財務省が考えたのが間違いだった。ギリシャの破綻も、それ自体は大事件ではないが、市場の疑心暗鬼が始まったら、どこに飛び火するかはわからない。ブラック・スワンは定義によって、予測不可能だからである。