ヤン・フスとアンチ・クリスト --- 長谷川 良

数百年前の一人の人間の死がその後の民族の歴史に考えられないほどの大きな痕跡を残していくことがある。宗教改革者ヤン・フス(1369~1415年)もその一人だ。フスは当時のローマ法王を中心としたカトリック教会指導者たちを、「イエスの福音を反故するアンチクリストだ」と糾弾。ローマ法王や教会指導者の逆鱗に触れ、コンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された。そのボヘミア出身のフスの死から今月6日で600年を迎えた。


▲宗教改革者ヤン・フス(ウィキぺディアから)

チェコでは5日夜からプラハを中心に追悼集会、記念礼拝、コンサートなどさまざまなイベントが開催中だ。また、フス教会やカトリック教会は合同で記念礼拝を行う。

宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546年)より約100年前に出現したフスは、ローマ・カトリック教会の腐敗を糾弾し、「真理は聖書にある」と主張して、「ローマ法王や教会はイエスの福音を無視している」と、奢侈な生活に溺れる聖職者を批判した改革者だ。ルターが教会改革の先駆者フスからさまざまな改革案を学んでいったことは良く知られている。

フスがチェコ民族にどのような痕跡を残したかを少し考えてみたい。中欧に位置するチェコ民族の特長は「反カトリック主義」だ。ワシントンDCのシンクタンク、「ビューリサーチ・センター」によると、チェコの宗教事情は、キリスト教23・3%、イスラム教0・1%以下、無宗教76・4%、ヒンズー教0・1%以下、民族宗教0・1%以下、他宗教0・1%以下、ユダヤ教0・1%以下だ。無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%にもなる。キリスト教文化圏で考えられない数字だ(「なぜプラハの市民は神を捨てたのか」2014年4月13日参考)。

共産政権時代に「無神論国家宣言」したアルバニアで今日、宗教に関心をもつ若者たちが増え、精神的覚醒を迎えているが、チェコでは無神論者が増えているのだ。その主因は、40年余りの共産主義政権の無神論教育の残滓というより、フスを火刑に処したカトリック教会への不信感、嫌悪感が国民の中に今も残っているからだといわれる。
例えば、同国の民主化後、民主政権とローマ・カトリック教会との間で、共産政権下で押収された教会財産の返還交渉が行われたことがあるが、政府側は教会にその財産返還に応じることを最後まで渋ったほどだ。それほど、国民はカトリック教会への不信感が強いのだ。

旧チェコスロバキアの民主改革(1989年、通称・ビロード革命)はチェコとスロバキアでは全く異なったプロセスを経た。チェコではバツラフ・ハベル氏(1936~2011年、民主化後初代大統領)を含む左派知識人が中心とした政治運動が主導を握り、スロバキアではカトリック教会を中心とした宗教の自由運動が民主化の原動力となった。チェコでは宗教の自由運動はほとんど見られなかった。

チェコのローマ・カトリック教会最高指導者トマーシェック枢機卿(当時)は、「自分はハベル氏を信者にしたかったが難しかった」と笑いながら呟いたことがある。ハベル氏は最後まで教会とは一線を引いてきた典型的な左派知識人だった。権威者へ無意識に抵抗感を覚えたハベル氏の生き方にはやはりフスの影響を感じる。

なお、故ヨハネ・パウロ2世は西暦2000年の新ミレニアムを直前に、「新しい衣で迎えたい」という決意から、教会の過去の問題を謝罪したが、ヤン・フスに対しても謝罪を表明した。

6日はチェコでは「フスの日」で祝祭日だ。国民はフスの改革魂に民族のアイデンティティを感じているのだろう。フスは単なる宗教指導者ではなく、文化、民族の指導者と受け取られているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年7月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。