福島の避難指示解除、希望と課題

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北村俊郎 

                            
福島第一原発の南方20キロにある楢葉町に出されていた避難指示が9月5日午前0時に解除することが原子力災害現地対策本部から発表された。楢葉町は自宅のある富岡町の隣町で、私にも帰還の希望が見えてきた。仮設住宅などに避難している楢葉町の住民は帰還準備に取り掛かっているが、すでに避難先などに移住すると決めた子供のいる世帯も多く、人口は元の7700人から大幅に減り、高齢化も進むと予想されている。楢葉町は本格的な避難をした沿岸部自治体の初の指示解除事例として注目されている。

生活の便利さが消える

住民の反対で1ヶ月延期された解除だが、実際に住民が帰還して生活をおくるには課題だらけだ。まず、帰還の中心となる高齢者が一番心配な医療施設がない。仮の病院を計画中のようだがまだ形になっていない。食料品や日用品など買い物をするスーパーもない。

隣町の広野町には大手スーパーと地元商店が入る施設の建設計画が発表されているが、そこまでの足も確保しなくてはならない。今まで楢葉町の住民は地元の商店や個人医院の他に、隣町で人口1万5000人の富岡町の病院や大型スーパーを利用して不自由なく暮らしていた。川内村など先行した解除区域で経験した、「帰ったら以前よりはるかに生活困難なふるさとだった」がまた繰り返されようとしている。

黒袋の巨大な山との共存

見逃されているのが環境についてだ。町全域の除染が終了し放射線量はおおむね毎時0.2マイクロシーベルト以下になっているが、問題は放射線量ではない。楢葉町など浜通り地域は、農業就労人口が住民の1割程度おり6号国道沿いには田畑が広がり、町の西半分は山林となっている。安倍首相は棚田を見て「息を飲むほど美しい風景」と述べたようだが、楢葉町の田園風景も美しい。

夏はそこに太平洋の大海原から風が吹き渡って涼しく、冬は雪がふらずにみかんがなる。東京から転勤してきた東電社員が「福島の湘南」と呼ぶほど気候がよい。国道沿いに掲げた町のキャッチフレーズは「東北に春を告げる町」だ。

ところが現状は写真にあるように除染で出た汚染土壌が詰まったフレコンパックと呼ばれる大きな黒い袋がどこに行っても田畑や空き地に積まれている。

(写真1)

(写真2)

楢葉町役場に「9月になったら避難指示を解除するので帰還をと言っているようですが、それまでにあの黒い袋はなくなるのでしょうね」と尋ねると「残念ながら、そうではありません。いつまでになくなるという目処もたっていません」という回答が返ってきた。

黒い袋の行き先は大熊町と双葉町にまたがる中間貯蔵施設だが、地権者との話が進んでおらず試験運搬はやったが本格的な運搬は始まっていない。可燃物は各町で焼却して減容することになっているが、焼却炉の建設場所も住民の反対にあっていて進んでいない。福島第一原発の地下から組み上げた水を海に放流することに漁業者が苦渋の決断を迫られたのと同じで、結局地元住民が妥協しなければ事は進まない構造になっている。

家から一歩出ればあの黒い袋が積まれているところで暮らさなければならず、放射線量は問題ないとしても、とても事故前のように心穏やかに暮らせそうもない。避難指示解除について町に伝達した原子力災害現地対策本部長の高木陽介経産副大臣は、住民の放射能への不安に対して「安心は心の問題だと思う」と述べて町民の反発を受けているが、放射線の心配はなくても、あの黒い袋が積まれた異様な光景はまさに心の問題ではないのか。

よく迷惑施設建設反対住民が大臣や役人に「それなら東京に作ったらよい。あなたが家族を連れてここに住んでほしい」と抗議するが、大量の黒い袋とともに暮らすという状況は歴史上初めてではないか。あれこそ精神的苦痛による損害賠償の対象だ。文句を言わないのは、袋を置かせている田畑の所有者たち。コメを作っているより良いという借地料が支払われている。

国道沿いの仮置き場では一部緑色のシートを黒い袋の山に被せているところがあるが、それだけでも随分違うものだ。是非、すべての袋をシートで覆って直接見えないようにすべきだ。また、大きな仮置き場では周囲に木を植えて道路から見えないようにするなどの方策を積極的に取り入れてほしい。国や自治体が住民の帰還を進めようとするならば、環境省の役人だけでなく、社会学者や心理学者を動員してあらゆる面をケアするべきだ。

野生動物、空き屋、インフラ劣化…噴出する課題

指定解除までに間に合いそうなのは、電気、水道、ガス、道路と役場機能程度だが、住民が暮らしていくためには他にも課題がある。被災地はどこも人手不足で働く場所はあるが、副業でやっていた野菜などの生産は田畑が復活しないと生活は厳しい。

住環境でいえば、空き家と空き地の管理が難しい。楢葉町には築50年は過ぎたと思われる古い木造家屋が多く存在する。東日本大震災で半壊1058棟、一部損壊323棟を出し、壊れた瓦屋根はブルーシートに土嚢を載せ抑えている状態だ。空家のまま放棄されると、防犯上問題となる。すでに出入りが自由となった区域では窃盗事件が多発している。防犯、防火対策をさらに強化しなくては安心して暮らせない。

人が長期にわたって居住しなかったことから、避難区域ではクマ、イノシシ、ハクビシン、ネズミなど野生動物が繁殖し駆除が追いつかなくなっている。畑を荒らされたり、場合によっては人や家畜が襲われたりする危険性がある。

長期間の避難指定は、解除したからどうぞご自宅にお帰りくださいというわけにはいかない。国は区域指定解除と帰還は別物だということを理解する必要がある。

北村 俊郎(きたむら・としろう)67年、慶應義塾大学経済学部卒業後、日本原子力発電株式会社に入社。本社と東海発電所、敦賀発電所、福井事務所などの現場を交互に勤めあげ、理事社長室長、直営化推進プロジェクト・チームリーダーなどを歴任。主に労働安全、社員教育、地域対応、人事管理、直営工事などに携わった。原子力発電所の安全管理や人材育成について、数多くの現場経験にもとづく報告を国内やIAEA、ICONEなどで行う。福島原発近郊の富岡町に事故時点で居住。現在は同県須賀川市に住む。近著に『原発推進者の無念―避難所生活で考え直したこと』(平凡社新書)。