最近ウヨクに大人気の「張作霖爆殺コミンテルンの仕業説」の元ネタがこのユン・チアンの本。ウヨクの人々が根拠の疑わしい、自分の主張にとって都合の悪い本を叩くのは大いに結構だ。例えばアイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ南京」。だが自分に都合がいいからといって根拠の疑わしい本を持ち上げるのは公正な態度とは言えない。ここで取り上げるユン・チアンの「誰も知らない毛沢東」がそれだ。
この本の胡散臭さは枚挙にいとまがないが、詳しくは矢吹晋教授とアンドリューネイサン教授の書評をネットでご覧いただくとして、ここでは2つの論点だけ、両先生とはやや違った視点から取り上げることにする。
一つ、
最近旧ソ連の資料から、1928年(昭和3年)の張作霖爆殺はスターリンの指示によって、ナウム・エイティゴンなる人物が実行して日本軍の仕業と見せかけたことが明らかになったと、書いている点。
この事件は、関東軍参謀河本大作大佐が企画立案し、独立守備隊の東宮鉄男大尉が実行したことは定説(通説ではない)となっており、関係者の詳しい証言も残されている。
これが関東軍及びこれに呼応する陸軍の一部との共同謀議であったからこそ、この事件の処理を巡って即位間もない若き昭和天皇が首相田中義一の食言をとがめて解任したことに陸軍は激しく反発し、天皇がそれに懲りて以後元首としての発言を自制するようになったことはいまや昭和史の定説である。天皇自身の証言も残されている(昭和天皇独白録)。
当時の満州情勢を分析するのに日本側資料は欠かせない。この著者は日本側資料を読む能力がないのか或いはその重要性がわからないのだろう。著者が日本語を読めないことは確かである。
なぜそう言えるか? 日本軍の仕業と見せかけたとこの本には書いてあるが、現場には中国人数名の遺体が遺棄され、中国人の仕業と偽装されていたのであって、日本軍の仕業と見せかける工作はなかった。こんなことは日本側資料に当たればすぐ分ることだ。
ソ連側資料なるものの存在自体疑わしいが、仮にそんな資料があったとしてもそれはスパイとして自らの功績を誇るためでっち上げた可能性があることにどうして思いが及ばないのだろう。
一つ、
南京上海警備区司令官の張治中は秘密共産党員であって、日中を戦わせるためスターリンの指示で、第二次上海事変によって日本を全面戦争に引きずり込んだと書いている。しかしその根拠らしい根拠はなにもなく、単なる憶測をあたかも歴史的事実であると読者を錯覚させるような書き方をしている。上海戦線を正念場として最精鋭部隊を配置したのは蒋介石自身であってスターリンではない。
第二次上海事変の勃発は日中双方に要因(大山中尉事件等)があり、張治中一人でどうこうできたわけではない。この当時中国全土で抗日気運が横溢しており、彼もそうした気運に押された可能性はある。
支那事変が盧溝橋事件以来拡大の一途をたどり、ついに泥沼に陥ったのは多くの要因(通州事件、廊坊事件、広安門事件、第二次上海事件等)が錯綜しており、しかもその間何度も講和のチャンスがあったのである。従って一人の陰謀論で説明するのは無理がある。
日本軍が、上海事変勝利後も南京に進撃しなければ支那事変は局地戦で終わった可能性もある。実際陸軍中央は一度は停止命令を出したが結局は現地軍の暴走を追認した。
この本の著者が張治中はスターリンの指示に従ったと考えたのは多分、国民党が内戦に敗れた後も張は大陸に留まり高い地位を与えられたことからの連想だろう。だが張が台湾に逃れず大陸に留まったのは黄埔軍官学校以来面識があった周恩来の勧めによるものであり、大陸に留まった国民党員は他にも多勢いる。
そもそも孫文の第一次国共合作の時代、共産党員も国民党に加入したので、両党の人脈は錯綜し、蒋介石の上海クーデターによって国共分裂後も、両党間で個人的なつながりが絶えることはなかった。
建国以来毛沢東は数々の失政を犯した。その失政の一つである文革で辛酸をなめた著者が毛沢東を憎悪するのは理解できるが、毛が譎詐奸謀(けっさかんぼう)だけで天下を手中におさめたとする著者は私情に囚われ真実が見えなくなっているのではないか。
この本は「ザ・レイプ・オブ南京」同様世界でずいぶん売れたらしい。原文が英語であるというだけで恐れ入る日本人のなんと多いことか。
ユン・チアンの最新作は「西太后」。私の興味あるテーマの一つであるが、「誰も知らなかった毛沢東」の出来栄えを見ると「西太后」を買うのに躊躇する。
青木亮
英語中国語翻訳者