ラクビーワールドカップで日本代表が、世界ランキング3位の南アフリカを破るという歴史的快挙を成し遂げました。これはスポーツの世界での快挙ということ以上の意味、衝撃があるのではないでしょうか。ラクビーは英国のパブリックスクールであるラクビー校でエリート、英国紳士の精神を育むスポーツとして生まれています。そして、英国には「ラクビーは紳士のする荒くれたスポーツ。サッカーは荒くれ者がする紳士のスポーツ」という言葉があるようにエリート主義の伝統と共に歩んだ紳士のスポーツです。このようなラクビーの世界での快挙には、単なるスポーツの試合での番狂わせ以上の意味があるように考えます。
ラクビーは19世紀前半から半ばに掛けてスポーツとして確立し発展しています。同時期、英国はアメリカやドイツといった後発の工業国の経済的な追い上げもあり、再び植民地を拡大させる政策を打ち出しています。そして、植民地獲得のためのエリート、その地の統治を担えるエリートを育てるのがパブリックスクールです。英国では支配層が公けにために民衆を導くことは当然の責務と認識するエリート主義があり、大英帝国、英国連邦を担う人物を、同時にその精神を育むのがパブリックスクールです。そして、そのパブリックスクールで発展したスポーツであるラクビーには、そのエリート主義の精神や大英帝国の歴史を伝統として残したスポーツといえます。その一端が見えるがラクビーワールドカップにおける代表の基準です。通常のスポーツであれば国籍がその基準となっていますが、ラクビーでは所属協会主義で国籍ではなく所属する協会を基準としています。例えば日本ラクビー協会に所属のチームに一定期間在籍していれば日本代表になれる基準を満たすというものです。これは、英国連邦の国、殖民地に赴任した英国国籍の人が、現地の所属チームに在籍していれば、その地の代表にもなれるという考え方を踏襲した考えで、大英帝国時代の植民地政策の伝統、エリート主義の伝統が覗ける一面と思います。
もう一つ、パブリックスクールのエリート主義の伝統についてお話します。19世紀初頭、英国を悩ませたのはナポレオンの台頭でした。ナポレオンの偉業は様々な点がありますが、中世から近代への歴史の変遷の中で注目すべきは既存支配勢力(王族や貴族)からの市民開放(自由)と徴兵制の導入だったと思います。この2つが後に市民国家という概念や国家主義(ナショナリズム)となっていったと思います。そして、このナポレオンを負かしたのがワーテルローの戦いです。この戦いで英国軍を率いたウェリントン卿は戦後に「ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で戦われえていたのだ。」という言葉を残しています。つまり、エリート養成学校であるパブリックスクール出身の将校たちがもたらした勝利であり、その教育の成果であるということです。甚だ勝手な解釈かもしれませんが、軍隊であれば兵隊を指揮する将校の能力が如何に重要であるか、つまりは組織の指導層の高い能力こそがその組織および組織を構成する人々にとっても有益であることが証明された戦いであったということではないかと思います。もっと云うならエリート層からみた文明的ではない人々、未開の植民地対象地域の人たちや十分な教育を受けない民衆をエリート層が指導し文明を享受した方がその人々にとっても有益であるという考え方ではないかと思います。
このように考えるなら、ラクビーは英国の考え方、思考を現在まで受け継いだ伝統のスポーツであり、日本代表の勝利の意味は大きなものに感じます。日本は英国連邦の一員ではありませんが、明治維新以後、英国からは多くの西欧文化、文明を受け、学んでいます。そして、日本帝国海軍は英国から多くを学び、当時、世界有数の艦隊であったロシアのバルチック艦隊破り、世界を震撼させています。西欧世界にすれば、未開と考えられていた極東の国の快挙であり、英国にすれば、自らに教え、指導の賜物と感じたのではないでしょうか。戦争とスポーツを同義に考えるものでは決してありませんが、戦いの勝利としては意味合いでは同様な衝撃があるように思います。
最後に今回の勝利をもたらした選手、スタッフ、特に日本代表をここまでの水準に導いたエディ・ジョーンズヘッドコーチに感謝と敬意を表します。そして、更なる勝利、飛躍を祈願いたします。
後藤身延