「京都市政における官尊民卑」考

若井 朝彦

以前にもすこし触れたが、京都市では四条通りの車線を、片側2車線から1車線に減らす工事をしている。河原町通りを中心に東西数百メートルの範囲であるから、京都でも目抜き中の目抜きだ。これがもうすぐ完成だが、工事中のゴールデンウィークにもすでに大渋滞が起こって、週刊誌の格好のニュースの的になって全国に知れ渡った。

この車線の減少の計画については、数年前に実証実験をしていたことを覚えている。新聞でそれを見て、

「実験してみたら、だれでもムリは判るわな」

「まさかそんな工事にはならんだろう」とひとりで勝手に安心していたのだが、誰かが交通工学という高邁なものを持ちだしてきて、「車線を減少させても渋滞は軽微にしか増加しない」という仰天の結論に導いた。立派なSTAP、ペテンである。

京都市街の市民の足は、市バスを中心とする路線バスが主で、たいがいの停留所から【四条河原町】と【京都駅】の両方に行けるように系統が設定されている。この設定については今は論評しないが、その集中の結果、たとえば四条大橋東行きの場合、平日夕方1時間あたり、ざっと57台のバスを1車線で通過させなければならない。

交通工学以前に土台無理だったのである。わたしはこれは、「工事のための発注」ではなくて、「発注のための工事」だったと思うのだが、関係者の申し開きをぜひ聞きたいものである。

これだけの大がかりな工事には、もちろん大義はあった。「歩くまち」の推進である。車道が減った分、歩道が拡がった。だがこれも間のぬけたおはなしで、拡幅部分にアーケードは伸長していない。雨の日など、その部分には歩行者はほとんどいない。かわいそうに道2本分が死んでいる。

たしかに四条は歩きやすくなるだろう。だが松原通りや高辻通りには、四条を迂回した配達の車が、毎日毎日あふれかえっている。

こんな矛盾は山のようにあって、あるときツイッターで「京都市は、言ってることと、やってることがちがうやないか」といったつぶやきを見たことがある。その通りだ。

しかしこのところの市政を見ていると、「官尊民卑」をいう言葉さえ浮かんできた。21世紀の京都でこんな言葉を使うようになるとは、まったくふしあわせなことである。

景観を理由に、強制力を伴う規制を民間にかけて看板狩りをする一方で、市バスの停留所には派手なカラーポスターを入れて景観を破壊している。

京都会館のネーミングライツ50年間を、たった50億円で売却してしまう。市議会に売却先の事前相談もなく、単年度でもなく、入札もなくである。その建て直しに際しては、景観政策の高さ規制は解除である。

与党が従順で、(これは昨日の投稿で述べたが)野党の共産党が市長選を決戦場にしてこなかった。大雑把にいってこれが原因であるが、現市長、門川大作氏が教育長をしていたころの京都市教育委員会は、みずからの活動を称える書籍が刊行されると、公費で買い上げては支援勢力に配布したものだ。出版の経緯までは知らないが、自社株の株価操縦と一体どこがちがうのか。こんな手法が市役所に入ったということだろうと思う。

2008年の1月、あるSNSに、わたしはこんなことを書いていた。

京都市をあたためる

京都では、自民公明民主共産の四大勢力が拮抗して硬い票を集める。共産党系は独自候補、公明は有力候補の推薦に回るのが決定していた市長選。となれば、残る唯一の問題は、下野に怯える自民と民主がどう組むのかだけだった。

毎度毎度の、テクニックだけの冷めた選挙はもうたくさん、と思つていたところへ無所属20代男性出馬のニュースが入った。どうか燃える選挙にしよう。せめて京都をあたためよう。

2008/01/07

民主党の状況は、当時と現在とでは全然ちがうが、このわたしの7年前の考えは、今もほとんど同じ。

 2015/10/20
 若井 朝彦(書籍編集)

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