文化勲章と文化の日

文化勲章の制定は広田弘毅内閣の数少ない業績の1つ。首相広田自身の発案で昭和12年の紀元節(2月11日)を期して制定されたものである。

ところで文化勲章と文化功労者の関係が正確に分かっている人がどれだけいるだろうか。
戦前文化功労者という制度はなかった。それが戦後なぜできたかというと現行憲法に関係がある。
憲法第十四条第三項の「栄典の授与は、いかなる特権も伴わない」との規定に関し、政府は文化勲章受賞者に年金を支給することが本条違反と考え、別に「文化功労者年金法」を作り文化勲章受賞者に文化功労者として終身年金を支給することにした(現在年額350万円)。だが文化勲章受賞者に年金を支給するのが違憲であるとすれば文化功労者に年金を支給するのも同じく違憲と見るのが自然な解釈であろう。
勲章と名がつかなければ本条違反には当たらないとする解釈などいかにも内閣法制局の役人が考えそうなことではある。
ここは、憲法を変えるか又は一身限りの単なる経済的利益はここに言う「特権」には当たらないと解釈を変更すれば済むこと。

文化勲章を辞退したのが大江健三郎、後に返上したのが徳富蘇峰

ところでなぜ11月3日が文化の日だろう?一応は、平和と文化を重視している日本国憲法が公布された日だからということになっている。だが憲法記念日が別(5月3日)にあるのに、憲法にちなむ祝日が二つとはおかしい。

実は戦前11月3日は明治節(明治天皇の誕生日)として祝日であった。現在4月29日が昭和天皇の誕生日として祝日とされているのと同じ。明治節として残すのを占領軍が認めなかったので憲法にかこつけてめでたく祝日として残ることになった。

戦前の祝日は、記紀神話、天皇、皇室行事にちなむもので一貫していた。現在11月23日は意味不明の「勤労感謝の日」だが、戦前この日は「新嘗祭(にいなめさい)」という重要な皇室行事であった。皇室色をなくしたい占領軍がLabor Day とThanksgiving Dayを合せて「勤労感謝の日」にしたのだからいい加減な話だ。
明治憲法体制への郷愁が強い右翼がなぜ「文化の日」を「明治節」に、「勤労感謝の日」を「新嘗祭」に戻せと言わないのか理解に苦しむ。

戦時中、日本軍はこうした祝日若しくは記念日を作戦の節目とするよう前線に発破をかけたものである。
たとえば昭和16年暮手こずったウェーキ島攻略を当時の皇太子殿下の誕生日12月23日までに終えるように厳命している。
また翌昭和17年には紀元節の占領をめざしてシンガポールを攻めたが僅かに遅れた。こうした作戦パターンは相手にスケジュールを読まれることになるので実にまずかった。

逆にとんだしっぺ返しを食ったこともある。昭和20年3月10日の東京大空襲は陸軍記念日に合せたものであった。陸軍記念日とは日露戦争最後の大規模な陸戦であった奉天会戦勝利の日。ついでに海軍記念日はもちろん日本海海戦勝利の日5月27日。

戦前中学校の入学試験で「三大節を記せ」という問題が出た。正解は天長節(天皇誕生日)、紀元節、明治節。ところが何を勘違いしたのか「木曽節、安来節、八木節」と書いた答案があった。この生徒が不合格となったかどうかは知らない。

ところでお隣中国の祝日はどうなっているのだろう。
清明節(二十四節気の一つ、4月初旬)、端午節(旧暦5月5日)、仲秋節(旧暦8月15日)などの祝日(休日ではない)にお国ぶりが表れている。
外来の祝日はどうなっているか。クリスマスは聖誕節、メーデーは国際労働節、ハロウィーンは万聖節、バレンタインデーは、情人節。最後は何とも無粋なネーミングだが日本語と違い中国語で情人は単に愛する人だから家族を含む。

青木亮

英語中国語翻訳者