特攻隊は無駄死にだったのか?冷静に振り返りたい真実 --- 岩田 温

昨日の深夜、facebookに次のように書きこんだ。

どんなに右翼と糾弾されても、僕は、特攻隊として出撃隊した人々を「バカ」だの「恥」だのいうことは出来ない。
明日、ゆっくり書くとしても、それは、無理だ。
特攻作戦を愚劣であったと糾弾してもいいが、出撃した人々を罵倒することは出来ない。腹が立つ。
仮に、それで右翼と言われるなら、右翼でいいよ。

どうも、安保反対の声をあげていた学生たちの中で、特攻隊を「バカ」よばわりする人がいると聞いたので、とても残念に思って、書き込んだ。知覧の特攻隊記念館、靖国神社などで、幾つもの遺書を読んできたが、苦しみ抜いた彼らのことを「バカ」呼ばわりすることは出来ない。

実際に調べてみると、「バカ」と批判しているわけではなく、「無駄死に」だったといっているようだ。

この書き込みに関して、特攻隊に関して、幾度となく取材を重ねてきたノン・フィクション作家の神立尚紀氏(『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』の著者)が次のような長文を寄せてくださったので、ご紹介したい。

「特攻の真意」(文春文庫)の著者です。確かに現代の価値観からは遠いところにあると思いますが、特攻を「愚策」と決めつけるのも早計だと思います。軍事的見地で見ても、特攻はガダルカナル戦以降の日本陸海軍による航空攻撃で、もっとも効果的に、もっとも大きな戦果を挙げた作戦であり戦法でした。

これは一つの例ですが、特攻以前、ラバウル、ソロモンの航空戦を戦った零戦の第二〇四海軍航空隊の搭乗員戦死者は、昭和17年夏から18年の約1年の間に101名中76名。生きてラバウルを出た残り25名のうち13名が、その後戦死、終戦時生存者は12名に過ぎません。一方、特攻専門部隊として昭和20年2月に台湾で開隊した零戦隊である第二〇五海軍航空隊は、沖縄特攻に投入されながら、戦死者は搭乗員103名中35名です。特攻出撃を5回続けて敵艦隊と遇えずに生還した人も現にいれば、通常作戦で、たった一度の出撃で戦死する人もいます。つまり、特攻隊よりも戦死率の高い通常の部隊も多々あるわけで、どちらが残酷だとか言っても始まらないと思います。

また、海軍の特攻と陸軍の特攻は成り立ちが違うのに、一緒くたに扱うのは無理があります。

少なくとも、海軍が特攻に踏み切ったときには、それまでの戦闘で可動機がわずか40機足らずになったフィリピンの第一航空艦隊が、栗田艦隊によるレイテ湾突入を掩護するため、敵空母の飛行甲板を一時、使用不能にするという限定された、やむにやまれぬ理由がありました。

また、海軍が特攻作戦をその後も続けた動機には、「特攻を盾にして敵に日本本土上陸を断念させ、終戦の聖断を仰ぎ、もって和平の糸口をつかむ」というものがありました。

詳細は拙著をお読みいただければと思いますが、司令部から現場の将兵まで、数百人のインタビューを重ねてきた目から見ると、特攻に対する昨今の議論はあまりにも一面的で、読みかじりのわずかな知識と浅い解釈をもとに、各々の政治的主張を補完する解釈をぶつけ合うだけのように見えます。

特攻は歴史的事実ですから、それが良かったとか悪かったとか、いま言っても始まらない。それより、まず、何がどうなって何が起き、それがどんな結果をもたらしたか、史実をきちんと知るのが先決だと思います。特攻を描いたベストセラー本にも、そのへんいい加減なものが多いのですが。
現代の視点で当時を振り返ることは大切ですが、それには必ず当時の価値観を俎上に上げて、それと比較するのでなければ、事実が真実から遊離してしまいます。

ある元特攻隊員の言葉です。

「われわれは英雄でも犠牲者でもない。ただ、その時代に生きた若者として、己の責務を果たそうとしたに過ぎません。どうか特攻隊員を憐れみの目では見ないで欲しい。と言って、英雄視されるのも違う。ただ、一途に生きて死んでいった若者たちのことを、記憶の隅にとどめてもらえたら、と願います。それが戦争、それが歴史なんですよ」

全面的に否定したり、無駄死にだったと決めつける前に、『特攻の真意』を読むところから始めるのがいいと思った。購入してあったけど、まだ読んでいなかったので、じっくりと読んで、改めて特攻隊について考えたい。




編集部より:この記事は岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2015年11月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。