歴史をつまみ食いする御都合主義の中国

中国が第二次大戦後の秩序を守れと言う時、中国は戦勝国であるから日本は敗戦国である分をわきまえよということ。尖閣諸島は第二次大戦処理の一環として中国に還付されたという主張、敗戦国である日本が国連安保理事会常任理事国になるなどとんでもないという主張につながる。因みに中国語でthe United Nations は国際連合ではなく聯合国。

では、第二次大戦後朝鮮戦争で中国がアメリカ軍を中心とする国連軍と死闘を演じた歴史はどうなるのか中国政府に聞いてみたい。中国によれば朝鮮戦争以来「アメリカ帝国主義は全世界人民の敵」であったはずだが、いつからそうではなくなったのか聞いてみたい。悔い改めたのはアメリカ帝国主義かそれとも中国か。はたまた別の事情があったのか。

日中間の戦後処理は日中共同声明と日中平和友好条約で決着がついたはずだが、中国はこの2つの(広義の)条約が存在しないかのように振る舞い、尚も「謝罪せよ」と迫る。賠償に代るものとして日本が提供したODAに言及することもないし、中国国民にこの事実を知らせることもない。

中国は歴史教科書で満洲国にわざわざ「偽」をつけて「偽満洲国」として、あるべからざる歴史の汚点として扱っている。ところが清朝時代帝政ロシアがシベリア、沿海州の広大な領土を奪ったことにも、スターリンがソ連の衛星国モンゴール人民共和国を作り事実上中国から奪取したことにも抗議したことはない。石油天然ガスと軍事技術の供給源であり核大国のロシアと喧嘩はできないという事情は分る。

李克強首相によれば南沙諸島は明代初期鄭和の大航海によって中国の支配下に入ったそうだ。明の歴史を持ち出すのであれば、あの当時東トルキスタン(新疆)もチベットも中国領ではなかったし、国境の北限は万里の長城であった。こうした不都合な歴史的事実には頬被りだ。冒頭の歴史地図参照

その中、日本は秦の始皇帝の臣下である徐福が発見した島だから中国領だ、日本の戦国時代中国人倭寇であった王直が拠点として活動していた長崎県五島列島は中国領だ、江戸時代沖縄は清朝に服属していたので中国領だと言い出しかねない。

1972年中国が日中国交回復に執心したのは、文革で国民生活と経済はボロボロ、その上世界で孤立し、ソ連とは全面戦争寸前まで緊張が高まったことが背景にある。60年代後半から70年代初頭にかけて中国の主要都市で無数の防空壕が作られた。これはソ連の核攻撃に備えるためであった。中ソ全面戦争が如何に切迫したものであったかがここからも伺える。あの時アメリカがソ連に強く警告しなければ全面戦争に至った可能性は十分あった。そうした窮境から抜け出す突破口が日中国交回復であった。

天安門事件で再び世界から孤立した中国を救ったのも日本であった。あの時日本は他国に先駆けて中国との経済的政治的関係を正常化した。だから鄧小平は日本に感謝したのだ。

ところが江沢民時代には、多くの先進諸国と外交関係を樹立し経済関係も活発になったため中国にとって日本の重要性は相対的に低下した。数々の失政によりその正統性が揺らいだ共産党政府は、日本の侵略と戦った栄光の歴史を国民に思い出させることが共産党政府にとって有利と考えるようになり今に至っている。

青木亮

英語中国語翻訳者