田原総一朗の見た原子力・エネルギー報道【報告3】

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GEPR編集部

12月7日に行われたアゴラシンポジウム「原子力報道 メディアの責任を問う」で、最初に行われた田原総一朗氏の講演(聞き手・池田信夫アゴラ研究所)「田原総一朗の見た原子力報道」の要旨は以下の通り。

原子力報道・メディアの責任を問う【シンポ報告1・映像】
原子力報道・メディアの責任を問う【シンポ報告2】

(写真)講演する田原氏

決められない政治は原発に危険

池田・田原さんは、原子力問題を長期にわたって取材してきました。福島原発事故の後も、大変冷静に状況を分析していました。本日のシンポジウムのテーマ「原子力とメディア」を語るもっともふさわしいジャーナリストです。

田原・原子力船むつというプロジェクトがあった。それが1974年の初航海の時に放射線がもれて大騒ぎになった。私はテレビ東京の社員で取材をした。反対派の集会に行くと放射線が漏れたことで、「危険な船であり事故が起これば、日本が終わる」と主張していた。一方で賛成派の集会に行くと、「放射線漏れはたいしたことはなく、日本のために原子力船は必要だ」と言っていた。両方の主張が極端だと思った。

そこで取材を始め、番組をつくり、雑誌で連載をした。ところが当時は、原子力について、広告代理店がメディアに圧力をかけることがあった。田原の行動をやめさせろと広告代理店が言ってきた。もともと独立を考えていたが、それがきっかけで会社を辞め、フリーになった。

その後で『原子力戦争』(アゴラ刊、筑摩書房刊)(原発への誘致をめぐる、賛成、反対派の対立、買収などの問題などを題材にした小説)、『ドキュメント東京電力-福島原発誕生の内幕』(文藝春秋)などを書いた。そこからのつきあいだ。そして対立する状況は残念ながら続いている。

原子力の混乱を見て、日本のいつも起こる問題が、ここでも起こっているように見えてしょうがない。よく言われることだが、日本の旧軍は連合軍側から「下士官は世界最高クラスの優秀さ、将校はまあまあ、しかし将軍クラスがダメ」と言われていた。同じことが

きょうは中部電力の浜岡原発に行った。22メートルの大堤防をつくって、リスクを分析している。しかしこうした現場の努力は、報われるのかと思う。

例えば東電の場合、事故直後に第一原発所長だった吉田昌郎さんと、現場の人が事故を止めるために頑張った。ところが、その吉田さんが、東電の本部では津波対策を先送りすることを決めた。この津波が福島事故の直接の原因だ。私は昨年、文藝春秋で原発の連載をした。そこで東電の今の広瀬直己社長に「なんで、しなかった」と聞いたが、「いつかやろう」と先延ばしにしたと言っていた。実は経産省の検討会が2008年に津波の可能性を指摘し、翌年東電でも検討がされていたのだ。

日本では「絶対安全」と言わないと、危険物は扱えない。だから福島では原発事故を想定した事前準備が行政にもなかったし、避難訓練もしていないし、東電も事故に基づいた想定をしていなかった。これが混乱を助長した。

報道の問題「反対だけ」「面白くない」

今回のシンポジウムのテーマは原子力と報道ということだが、新聞の問題は反対論を一度言い出すと反対論を続けてしまうこと。そして、その反対論が面白くないことの2つだ。

全国紙でいうと朝日、毎日、東京・中日の各新聞が反対、読売と産経が賛成の社論になっている。それが固定化している。社論があるのはいいだろう。けれどもそれ以外の異論がなくなるのは、問題だし、議論が単純になって面白くない。議論に、リアリティがないのだ。

新聞に限らず、反対というのは責任を取らなくていい。楽な政治的立場だ。それを唱え続けることで、推進と反対で議論がかみ合わない。反対派は、思想信条に基づくものになっている。一方で、単純な原発推進の議論も問題だ。現実と利益を観察した功利主義の発想だろう。それを強調するから思想信条で語る人とかみ合わない。

そして問題なのは、そうしたメディアに動かされる政治だ。今の日本のエネルギー・原子力政策は、総合戦略がない。中部電力の浜岡原発は2011年に菅直人首相が思いつきで止めた。今の政策は、原発の規制行政の行き過ぎ、1mSv問題、40年廃炉問題、原子力の比率の問題とか、問題点がかなりある。それなのに、それを正さない。自民党の政治家に聞くと、選挙が怖く、原子力をまじめに語ることはタブーになっているそうだ。

その中で、メディアは、今の報道を見直すべきであろう。まずできることは単純な反対論から抜け出るべきだ。あるメディアの主筆と話したことがある。「原発でも、安保法制でも、今だに反対論を繰り返すのは、よくないだろう」と、私は言った。すると「反対は楽だ」という。対案を出すには、時間、費用、能力が必要だという。それはそうだが、対案を出し、現実感を持たなければ、メディアは読者から、社会から信頼をさらに失っていくことになるだろう。