「憲法神格化」は反民主主義的


▲日本国憲法原本(国立公文書館サイトより)

共産党の呼びかけに乗った「違憲安保法制を廃案に持ち込む為の野党共闘体制」が検討されているという。民主党などの幹部が「それ以外に安倍首相の独走態勢を阻止する方策が見当たらない」と考えたとすれば、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。これでは負け犬と同じだ。

私は「中国の内政がもっと安定して対外膨張主義を断念しない限り、日米関係を強化する以外に日本の海上権益とシーレインを守る方法はない」と考えているが、「この為に米国の価値観の押し付けを無制限に受け入れざるを得なくなるような状況に陥る」のは何としても避けるべきという考えだ。

この為には「集団自衛権の運用」のみならず「TPPの運用」等においても、個々のケースに対する政府の対応を是々非々で厳しく監視する必要があり、それが野党の重要な責務だと考えるのだが、野党が理性を失って無責任政党に身を落としてしまうと、これは難しくなる。民主党は早く正気に戻ってほしい。

現在の護憲派は理性を失っている。

「理性を失った」とか「無責任政党」とかいうのは言い過ぎだと思われる人もいるだろうが、何故私がそう思うかを先ずは説明させてほしい。

安倍首相の考え方、やり方に危惧を持つ人達は、私自身を含め数多いが、彼を「民主主義を無視して憲法を踏みにじり、クーデターのようなやり方で日本を昔のような軍国主義に戻そうとするヒットラー並みの危険極まりない独裁者」と考える様な人は極く少数だろう。だからこんな事を言っている「極端で非常識な人達」にリードされる運動を見せつけられれば、普通の理性ある人達は次第に白け、むしろ心情的には安倍首相を擁護する側に回ってしまう。

新安保法案に「戦争法案」というレッテルを貼った人達の戦術は確かに一定の効果をもたらした。自民党は直ちに「とんでもない。これは戦争防止法案だ」として、「レッテルにはレッテルで対抗する」戦術をとればよかったと思うのだが、そうはしなかった。そこへ、自らが推薦した学者までが「憲法違反」という言葉を使ったので、多くの人達が心配し始め、一時的に内閣の支持率は急落した。

安倍首相は「誰が何を言おうと、祖父の岸首相時代の安保騒動の時に比べればものの数ではなく、国会で可決してしまえば済む話」と考えてか、一連の対応は粗雑であり、誠意にも欠けた。これに乗じ、共産党と社民党以外の野党には「幾つかの対案を出す」とか「膨大な数の問題点を提示してその一つ一つへの具体的対応策の提示を求める」とかの方法で「会期中の法案成立を阻止し、来るべき参院選の争点に持ち込む」という戦術があり得たと思うのだが、「示威効果があればそれで良い」と考える昔ながらの共産党や社民党の戦術に追随し、結局は何も得られないままに法案の成立を許した。

実際のリスクを具体的に指摘するのではなく、単純に「違憲だから悪い」という主張を繰り返した反対派のやり方も、何事も是々非々で考えたい「理性的で現実的な普通の人達」を敵にした。どんな憲法であっても、百パーセント完璧だ等という事はありえない。それなのに「現行憲法を聖書やコーランの様に絶対視する」かの様な言動に終始すれば、普通の理性的な人達は侮辱されたと感じるだろう。

護憲派は過半数の国民の支持を得てきたわけではない

憲法は全ての法律や行政が従うべき国としての哲学思想を記しているものだから、それを重視するべきは当然だが、それは神が啓示したものではなく普通の人間が作ったものだ。(日本の現行憲法の場合は「占領軍の若手行政官が短時間で書き上げたもの」という「おまけ」までついている。)だから、後世の人間が「これは良くない」と判断した場合は、変更すれば良いだけの事だ。現にドイツ等ではもう何十回となくそういった変更が行われている。

現行憲法を「米国に押し付けられたもの」として非難する人達の議論も全くおかしいと私は思っている。サンフランシスコの講和条約が締結されるまでは日本は占領軍の支配下にあったのだから、彼等の提示するどんな案も受け入れざるを得なかったのは当然だが、講和条約締結後はいつでも改正できた。だから「押し付け」等という言葉で米国を誹謗するのは不公正だ。にもかかわらず、すぐに改正しなかったのは、その時点では吉田茂やその後継者達が「第9条を言い訳にして日本の安全保障を米軍に委ねた方が得策(日本は経済復興に邁進できる)」と考えたからに他ならない。

そして、日本が経済的発展を遂げ、米国が「いつまでも単独で日本を防衛したくはない」と考え始めた頃からは、「憲法改正案の発議に必要な国会議員の2/3の賛同」を政権党が取れない状況が続き、それ故に改正が出来なかったのである。それ以外の理由はない。つまり、「民意」という観点から言えば、これまでの改憲議論は1/2対1/3の戦いであり、国民の1/3が国民の1/2を押さえ込んできたという事に他ならない。

民主主義と法治主義の下での「便宜主義」

日本は「主権在民の民主主義国家」であり「立憲制度に基づく法治国家」である。これは安倍首相も共産党も変えられないし、この点については日本国民は何も心配することはない。安倍首相は民主主義の手順に基づいて首相に選ばれ、立法府は「安保法制は合憲である」という彼等の判断に基づいてこの法案を可決した。これを廃案にしようとすれば、次の選挙で選ばれた議員達が立法府でそのように決議するか、或いは最高裁判所が違憲判決を下すしかない。そうでなければ、民主主義と法治主義に異を唱え、これを否定するしか方法がない。

街頭でデモをした人達だけではなく、多数の人達が「新安保法制は違憲ではないか」と考えたが、そのうちの多くは、右も左も、「そもそも自衛隊の存在自体が違憲ではないか」と考えていた筈だ。(私自身もその一人だ。)現実に社会党は、村山党首が「自衛隊の存在自体は合憲」という「かなり強引な解釈」を現実的な観点から受け入れるまでは、「憲法違反の自衛隊は解体すべき」という主張を繰り返してきていた。

恐らく、安倍首相は「自衛隊の存立を合憲だと解釈出来たのなら、今回の解釈も正当化できる」と考え、「時間が切迫している」という事を理由に、改憲という「王道」を行くことを避けて、手っ取り早い方法をとったのだろう。要するに、社会党の村山首相が筋道をつけた「民主主義と法治主義の原則の下での便宜主義」が、今なお日本政治の本流で踏襲されているという事だ。

ちなみに、共産党になると、もう何が何だかわからないから、彼等の主張については論評の術がない。原行憲法制定時に共産党だけは占領軍の意向を恐れることなく、唯一人果敢に「第9条」に反対した。その後も、共産党は「天皇に象徴としての地位を与えている」現行憲法に一貫して反対し、独自の「人民共和國憲法」の制定を主張してきた。共産党がいつの時点でそれまでの主張を180度転換して「護憲派」になったのかは、浅学にして私は知らない。これも恐らくは彼等なりの「便宜主義」なのだろう。

民主主義の真の敵はどこにいるか?

ところで、私は、日本が「民主主義国家」でなくなったり「法治国家」でなくなったりするような事にはないから、心配は要らないと言ったが、正確にはそうではない。それ以前に、そもそも、「法治主義(立憲主義)」と「民主主義」は異なる次元の概念であり、常に一体化しているわけではない。「法治主義」は秦の始皇帝の時代から強固な基盤を持っているが、多くの矛盾を抱えた「民主主義」は壊れやすい。

現在の日本の民主主義体制を崩壊させるためには、「自衛隊によるクーデター」か「昔ながらの極左勢力による暴力革命路線」が手っ取り早いが、とりあえず国民の2/3の支持が得られるなら、そこまでやらないでも、現在の民主主義の手順に従って憲法を改正して、「議会民主制」を廃止し、「天皇制」とか「プロレタリアート独裁制」とかに日本国を変える事は出来る。仮にこういう事が起こったとしても、立憲主義は些かも揺らぐことはない。人間が作る憲法は、どのように書くことも可能だからだ。

この場合、「次に憲法を改正する為には、国会議員の4/5以上の賛同を得て発議する必要がある」という規定をあらかじめ憲法の条文に入れておく事も可能だろう。こうしておけば、「護憲派」はほぼ未来永劫に安全だ。

現行憲法を「神聖にして犯すべからざるもの」と考えているかの様な人達の脳内回路は、むしろこれに近いような気がしてならない。何故なら、彼等にとっては、「自分達の考える正義」こそが全てであって、「それ以外の人達の立場」を尊重するような「民主主義」は、唾棄すべきものであるに違いないからだ。理由もなく「自分達は進歩的で知性的であり、異なった考えの人達は遅れていて反知性的だ」と考えているかのような、一部の「護憲派」の人達の傲慢さこそが、民主主義の真の敵である様に思える。

松本 徹三