政治家のポピュリズムを牽制する方法

松本 徹三


ポピュリズムが民主主義を殺す

今から200年以上前に、スコットランドのアレクサンダー・F・タイトラーという批評家が次のように言っている。

「選挙の投票によって国庫から恩恵を引き出せる事に有権者が気づけば、民主主義は続かなくなる。その瞬間から、有権者は常に国庫から最も多くの恩恵を与えると約束する候補者を勝たせようするからだ。その結果、放漫財政により民主主義は崩壊し、行き着く先は独裁と決まっている。」

民主主義が世界的に成熟しつつある現在、我々はあらためてこの予言をかみしめる必要があるだろう。世界各国でこの傾向がみられ、日本も例外ではない。

財政再建には増税が欠かせないが、増税が好きな人は誰もいないから、政治家は誰でも財政再建の問題は先送りしたがる。「遂に国家財政が破綻の日を迎える事があるとしても、それは相当先の事だろうから、最早自分の任期は過ぎている」という訳だ。

昨今の軽減税率の議論はその典型だ。これによって財政再建の目標達成は確実に遠のく。弱者救済が目的なら、直接給付金を支払えば、同じ効果をはるかに安いコストで賄う事ができるのだから、その言い訳は通らない。要するに、「どうすれば選挙での得票につながるか」という浅ましい思惑がミエミエだ。

国民の人気取りだけなら、古代ローマの暴君でも出来た。彼に出来なかったのは「国を将来の破綻から救う事」だった。現代の諸国民も、為政者には「将来を見通す洞察力」と「将来のリスクを回避する為に国民に苦い薬を飲む事を求める勇気」を求めるべきだ。

ネットとマスコミがポピュリズムを牽制すべき

民主主義体制下では、政治家がポピュリズムに走る事を根絶するのは無理だが、そのポピュリズムをせめて「浅ましい意図がミエミエのもの」から「選挙民が納得して支えてくれるような奥深いもの」に変えていって貰う様には出来ないものだろうか? 

ネットが市民権を得つつある現代においては、それは決して不可能ではない様な気がする。ネット上にはレベルの低い悪口雑言が氾濫しているという問題点はあるが、それぞれのユニークな観点から生まれてくる上質の評論が、ステレオタイプの既存の新聞雑誌に飽き足らない読者層を徐々に引きつけつつあるという現実もある。

これまでも政治家の不用意な言動がマスコミに攻撃されて辞任問題にまで発展するケースは数多くあったが、ネットの調査能力はマスコミを超える場合が多々あるし、マスコミの場合の様に「見返りを与えて抑え込む」等という事は出来ない。また、これまでのマスコミには「権力者に抵抗する事こそジャーナリズムの使命」という思い込みがあったらしく、一般的に政府には厳しいが野党には甘かった。しかし、ネット上の議論は、全て基本的には「是々非々」だから、野党にも容赦はしない。

こうなると、与野党を問わず、政治家は影響のあるブロガーやTwitterのコメントを注意深くモニターせざるを得なくなり、彼等の反発を事前に防ぐ事にも意を注ぐ事になるだろう。政治家が求めたがる「有権者への即効性のある利益供与」を、マスコミとネットが多様な立場から力を合わせて牽制し、「長期的な国益の追求」にもっと目を向けさせる様にすれば、ポピュリズムの弊害を多少は減らしていく事が出来るだろう。

政治家にも必要なマーケティングとセールスの能力

政治家が自分(達)への投票を求めて有権者に語りかけるのも、商人が自分達の売りたいものを売ろうと消費者に語りかけるのも、本質的には同じ事だ。だから、政治家たるものは、商人に学び、マーケティングとかセールスの奥義を極める必要がある。

マーケティングというと、何やら外来の洒落たコンセプトででもあるかのように聞こえるが、要するに「売り方の工夫」だ。同じ「売り方の工夫」でも「大きく網をかける様な工夫(戦略)」はマーケティングと呼ばれ、「個々の売り込み方の工夫(戦術)」はセールスと呼ばれている。

(ちなみに、かつて商売の神様と呼ばれた松下幸之助さんは、マーケティングという目新しい言葉が多くの人の口の端に乗るのを聞いて、少し心配になり、若い勉強家の社員を呼んで一時間以上にわたって彼の含蓄を聞いたが、最後に一言「よう分かった。要は『賢う売れ』と言うこっちゃな」と呟いた由である。)

しかし、マーケティングのもう一つの側面は「売れる商品を作る工夫」という事ででもある。商品企画が悪ければ、どんなに工夫しても売れないから、こちらの方が「売る工夫」よりももっと大切だとも言える。

これを政治家に当てはめるなら、先ずは「選挙民が支持してくれそうな政策を打ち出す」事であり、次に「その重要性を選挙民に訴える」事である。しかし、ここで当然葛藤が生まれる。もし自分が「国の為にどうしても必要」と考える事が「選挙民には不人気であるに違いない」と考えた時にはどうすればよいのか? 

「良いセールス」と「悪いセール」

この場合、政治家には下記の三つの選択肢がある。
1)その政策自体を断念する。
2)当り障りのない言い方で誤魔化す。
3)真正面から訴える。
となると、誰でもが「3を選ぶ人が良い政治家だ」と言うだろう。1を選択する人は「弱い政治家」であり、2を選択する人は「ずるい政治家」だからだ。

実は答はこの単純な事実にある。政治家は、政策を売る前に、先ず自らの人格を売り込むべきなのだ。セールスの世界でも、先輩達は後輩に「まず、お前自身を売れ。次に会社を売れ。商品を売るのは最後だ」と教えている。

先ず「自分自身の人格」を売らなければならないのは、言っている事に「嘘」や「誇張」や「ごまかし(隠し事)」がないと信用して貰う為だ。次に「会社」を売らなければならないのは、「良い商品を作り、長期間にわたってきちんとしたアフターサービスをする能力がある事」を理解して貰う為だ。

商品を買う場合は、買い手は孤独な場合が多いので、セールスマンの口車につい乗せられて、必要ではないものまで買わされてしまうという事が良くあるが、有権者の場合は決して孤独ではない。その一方で、自分への投票を求める政治家は、ただ一方的に自分の考えを語るだけではなく、対抗する候補者やネットからの批判に対しても答えなければならないので大変だ。

マーケティングの基本には、「メッセージを単純明快にして、その商品の魅力を(多少の誇張はあっても良いから)強く訴え、買い手に考える暇を与えない」という考えがあるが、「反対党という競合品が常に存在していて、こちらの隙を窺っている」政治の世界では、この原則はそのままは通用しないし、場合によっては害があると考えるべきだ。

「あまりに一方的な議論」ばかりに終始していると、反対党からの「理詰めの批判」に対する抵抗力を失い、結果として信用を失ってしまう事、従って、「反対党の考えも紹介して、双方の考えの相違を丁寧に説明しながら、最後は納得させる」という「フェアで忍耐強い手法」を取った方が、結果として勝利する(買って貰える)可能性が高まる事を、我々は政治家に伝えていく必要がる。

現実的な一つの提言

言論界(新聞社、出版社、およびネットを利用する人達)は、政治家が安易にポピュラリズムに走らないように、「重要だが人気の取れそうにない政策」について、こちらから各候補者に対して賛否を問い、もしその答えが「賛」なら、「何故それを有権者に訴えないのか」を詰問するべきだ。「対案のない反対論」についても同様で、「何故対案がないのか」を問い詰めるべきだ。ネット上でこれをやれば、政治家は沈黙を守るわけにはいかず、何事についても誤魔化しが効かなくなる。

松本 徹三