「パンデミック」考

若井 朝彦

関西はいまのところ暖冬である。

先月12月12日のことだった。例年なら暮れか正月ごろに開きはじめる蝋梅が、はやくも香りを立てているのに気がついた。すこし驚いたのだが、やはりあたたかいせいらしい。こんな様子なので、関西のインフルエンザの流行はまだはじまっていないようである。熱を出したという人も、身近にはいない。

近日のこと、「正月になってからこんなことがあった」という話を聞いた。その方のお宅に、近くの開業医、つまりホームドクターから電話がかかってきたというのである。

「インフルエンザの予防注射は、どうぞ1月末までにして下さい」

その方は、すでに昨年の秋の内に、そのドクターから接種を受けていたので、この電話に苦笑したとのことだが、どうもワクチンがまだたくさん残っているらしい。その上に外来患者は少なく、時間にも余裕ができて、電話でもしようか、という気持ちになったようだ。

このワクチンというものは、当たり前のことながら、インフルエンザが流行らなければ残り、流行れば足らない、ということになる。

ドクターの内情はともかく、普通人にとってこの状況はひとまず結構なお話ではあるが、油断はしてはいられない。世界はやはりいまもパンデミックの淵にいる。そう考えておくべきだ。

恐怖にも「はやりすたり」というものがあって、煽られた恐怖も、また忘れられた恐怖も多いが、残念ながらこのパンデミックは、どうもその後者に分類されてしまうようだ。しかしここ数年、世界がインフルエンザ・パンデミックを忘れていられたのは、偶然であったのかもしれない。

けれども感染症の専門家、また医療現場に立つ方が、限られた予算、限られた時間人材で、将来に備え、身構えておられること、時々見聞きする。本当に頭が下がる。

ところでわたしは、(政府の指導で作成されたものだと思われるが)小売店舗で全国展開する企業のパンデミック対応マニュアルを見せてもらったことがある。豚インフルエンザがおさまった2009年の秋のことだった。

よく考えれば普通のことが書かれてあるにすぎないのだが、またこのマニュアルにもひな形があったのかもしれないが、その中でも忘れられないのは、パンデミックの終焉期の対応項目として「死亡従業員の把握」「死亡従業員家族への弔問」があったことである。

わたしが時々パンデミックについて思い出すのは、この時の印象や、医療に献身されておられる方の言動が、ずっと記憶にあるからかもしれない。

しかしひとたびパンデミックが起これば、どの程度の速さでウイルスが世界に拡散されるかわかったものではない。重症化の例の少なかった2009年の豚インフルエンザの際も、あきらかに専門家の想像以上の速さで国境を越えていた。その2009年と現在とを比べても人の移動は、速度、量とも格段に増しているはずである。また栄養状態、衛生状態の良好とはいえない地域から、大量の移動が生じた場合、その速度は一層はげしいものになるだろう。

朝鮮半島も中東も揺れている。正月早々に夢ではなくて、怖れを語らなければならないのは、なかなかにつらいことであるが、やはりこういったことは避けては通るべきではないと考える。

 2016/01/08
 若井 朝彦(書籍編集)

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