東大生の話ばかりでわが母校・早稲田に触れてもらえないので・・・・
山口二郎さんからSEALDsの話の関係から「東大生はデモに参加しない」という問題提起がなされているようです。
我が母校である早稲田について全く触れて貰えないことに一抹の寂しさを感じ、早稲田大学の近年の変化について思い出話を交えつつ語ってみたいと思います。
早稲田大学は「在野精神」という標語が示すように社会運動の流れに敏感な大学です。そのため、安保法制のときもそれなりにデモやら抗議集会やらっぽいものが行われていた印象があります。
外務省が米国とのKAKEHASHIプロジェクトとして招聘したヘリテージ財団の研究員が早稲田大学の有様を見て「Oh,Japanでは安保反対運動の看板とかが随分あるんだね」という趣旨のレポートを書いた程度に現在でも多少は元気な人がいるみたいです。
しかし、私が早稲田大学に入学した15年前の状況と比べると、学生の左派的な運動力の衰退ぶりは隔世の感を禁じえません。東大生と比べて「リターンに結びつかない活動が大好きな早大生」に何が起きたのか、独断と偏見に基づく私論を述べていきたいと思います。
2000年代初頭・小泉政権全盛期に「掲示板」に起きた変化とは
筆者が早稲田大学に入学した当時、大学構内には様々な政治的な主張を並べた看板や掲示板を埋め尽くす手作りポスター(主に左派のもの)が溢れており、学生運動やデモがそれなりに元気な感じで生き残っていました。
しかし、大学3年生になる頃には上記のような牧歌的?な大学の雰囲気が大きく変化する激動の時代に突入することになりました。「森政権から小泉政権へ」という流れの中で、ホリエモンなどの新興起業家の皆さんが持て囃されるようになり、現代の「意識高い」学生のご先祖様とも言うべき学生も現れ始めました。
当時、筆者が何気なく学生掲示板を眺めていると、衝撃的な現象が掲示板上で起きていることを発見しました。従来までは「掲示板を埋め尽くした左派系の手作りポスター」の「占有面積」が50%に低下し、残りの50%が「投資サークルの印刷されたポスター」によって埋め尽くされていたのです。
筆者は「ああ、こうやって時代が移り変わっていくのだな」と学生ながらにしみじみ感慨に耽ったものです。それ以降、早稲田の学生運動は日に日に弱り続けているように感じます。学生の間でも彼らの伝統芸能としての価値は認められているため、筆者は構内で演説を行っている青年が「紙を読み上げているほど劣化した姿」を見かけた際にどことなく寂しさを覚えたものです。
東大生に言われた「東大」と「早稲田」の違いについて
筆者は東大生の友人から「自分たちは小さい頃からエリートとして育ったために社会全体のことを考えている。早稲田の出身者は社会全体というよりも自分一人の面白さを追求する人ばかりだ」と言われたことがあります。
この話が個体によって異なることは当然ですが、概ね早大生の傾向としては当たっているように思います。早大生は自らの面白みを追求する人間が多く、10年以上も前に突然世界1周のバックパックに出かけてアフガニスタンからメルマガ更新している人、ひたすらデカいお祭り騒ぎを行うことに全精力を投入する人、投資の道を追求してヒルズに住んでいた人など、自分の同世代の人も一風変わった人が多かった思い出があります。
彼らから見たら「デモ」は「刺激が足りないつまらないもの」に見えたのでしょう。早大生が勉強するかどうか・良いことかどうかは別として、彼らは本能的に刺激的なものを嗅ぎ分ける力があります。そのため、上記の看板の例を挙げるなら、デモに参加するよりも投資をやったほうが刺激的だ、と判断したのだと思います。
筆者を訪ねてくる早大生もいますが、いずれも「デモやりたいんです!」ではなく「起業したいんです!」という人ですね。もちろん、早大生の大半は大企業への就職を希望する人ですが、学生時代に求める刺激の方向が明確に変わったように感じられます。
一定レベル以上の学生はデモではなくインターンとして政治に関わっている
そうは言うものの、いつの時代でも政治に対して関心を持つ学生というものは一定数存在することは確かです。早稲田大学の場合はその手の学生の比率が他の大学よりも多い印象を受けます。
しかし、現在、それらの学生の大半は政治に「デモで参加する」のではなく「インターンとして参加する」道を選んでいます。彼らは国会議員や地方議員の事務所にスタッフ見習いとして参加することで、大人としての立ち振る舞いや議員事務所における現実の立法プロセスなどを学んでいます。
議員インターンという仕組みは正式に普及し始めて10年以上にもなるため、一定レベル以上の賢い学生は政治への関わり方として「デモ」という街頭で大はしゃぎするだけの行為を選択していない、と言えるでしょう。まして、早大生であればインターンの受け入れ先も困ることは無く、国会事務所などの中で刺激的な日々を過ごすことができるため、あえてデモのバカ騒ぎに喜んで参加する学生は減少していると思います。
現代の学生は「無意味なデモ」ではなく「現実に物事を変える力」を欲している
早大生で政治や社会問題に関心がある学生は、学生運動が何の意味もなかったこと、くらいは誰でも知っています。そのため、自らの行為の結末を知らなかった昔の学生と同じようにデモに参加しないことは当たり前です。むしろ、大半の学生は歴史を知っているからこそ、闇雲にデモに参加することはないのです。
早大生が求めているものは、現実に物事を変える力であり、刺激的な人生ということになると思います。
もちろん都内有数のマンモス校であるため、早大生にもピンキリ色々な人がいることは事実です。しかし、早稲田大学には「在野精神」「進取の気風」といった建学の精神はいまだ息づいています。
時代の最先端の方向にガサツに進む存在が早大生であり、歴史の時計を何十年も前に戻すような遊びに興味がないのは必然とも言えるでしょう。
以上、誰にも聞かれてもいませんが、早大生がデモに参加しない理由をまとめてみました。現役の学生は違うことを考えているのかもしれませんし、OBとしてかなり過大評価したことは間違いありません・・・、その辺は大目に見てもらえれば幸いです。
渡瀬裕哉(ワタセユウヤ)
早稲田大学公共政策研究所地域主権研究センター招聘研究員
東京茶会(Tokyo Tea Party)事務局長、一般社団法人Japan Conservative Union 理事
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