- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第2項の冒頭の部分は、GHQの原案を修正する憲法改正特別委員会の最終段階(1946年8月)で、芦田均委員長が付け加えたものだ。この意味について「前項の目的」とは「国権の発動たる戦争」つまり侵略戦争のことであり、自衛のための戦力は含まれない、という解釈がある。
この芦田修正については多くの論争があるが、政府見解でも憲法学でも、そのように強い限定とは解釈しないのが通説だ。特別委員会の議事録でも、芦田は単に「1項との重複を避けるため」と説明している。
しかし芦田がこのあとGHQ民政局のケーディス次長にこの修正案を伝えたところ、彼は即座にOKした。これについては民政局の中にも異論があったが、最終的にホイットニー局長が”Don’t you think it a good idea?”と了解した、とケーディスがのちに証言している(『占領期』)。
極東委員会もこれを「日本が再軍備する可能性がある」と理解し、第66条2項の「閣僚は文民に限る」という規定を設けるよう日本政府に求めた。芦田は、憲法の公布された1946年11月3日に刊行した著書『新憲法解釈』で、次のように書いている。
第9条の規定が戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段としてであって、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争ということになる。従って自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。(強調は引用者)
少なくとも芦田が自衛のための戦力はもてると考えていたことは明らかだ。安倍首相は今回の安保法制について「芦田修正論はとらない」と明言したが、第9条の改正がほぼ不可能な現状では、次善の策として法制局見解を変更して芦田修正を採用する手もあるのではないか。
厳密にいうと「交戦権」を否定しているなど辻褄の合わない点はあるが、大事なことは憲法解釈の整合性より国民の安全だ。朝鮮半島の状況をみると、これ以上、不毛な憲法論争で国会論議を空費すべきではない。