今年はオリンピックイヤーでもありますので、今回から何度かに分けてオリンピックに関わる様々な問題について提起させて頂きたいと思います。
第一回目は「義足のジャンパー、マルクス・レーム選手」についてです=写真、Wikipediaより、アゴラ編集部。
【義足は有利? 】
ドイツの走り幅跳び選手、M.レームは今回オリンピックの金メダル最有力候補です。
そんな彼に今危機が訪れています。
現在、「彼の義足が競技力向上に大きく関与している」「技術ドーピングだ」といった批判が沸き、オリンピック出場が危ぶまれています(事実、彼はこの批判の為に昨年夏の欧州選手権で代表から外されました)。
現在、国際陸連が彼へ提示した五輪出場の為の条件は「義足が有利ではない事を証明する事」です。
詳しい証明手順は伝え聞かれてないのですが、検査費用に日本円で3000万円以上かかるそうです。いささか浮世離れした金額と思えてなりませんし、そもそも義足の選手は彼一人ではないのですから、他の義足選手と比較をすれば少なくとも”有利でない事の証明”は一目瞭然の様にも思えます。これでは「出場の条件」というよりは「(主催者側が)出場させたくない条件を探している」と解釈されても仕方がない気はしています。
【問題は「義足」ではなく「金メダル」?】
ここから私見です。
僕はこの問題における「義足の是非」とは謂わば「枝葉」の話であって、これに執着していると解決は厳しいと思っています。
問題の本質は「金メダル、つまり競技成績に強烈なvalue(価値)がついてしまった事」にあるのではないでしょうか?
金メダルでも最下位でも「オリンピックに出場した事」自体に価値が見いだせる大会であったならばこの様なトラブルが浮上しなかった筈です。※実際、レーム選手もここまで好成績を挙げる以前は、ごく普通に欧州選手権等へ出場していた訳ですから。
【ブズカシの勇者達】
ここらから少し話題を変え「ブズカシ」というアフガニスタンの国技について紹介します。
現在ブズカシには様々な様式がありますが、極古典的なブズカシは族長の子が生まれたときなどの大きな祝い事がある時に開催されるそうで、競技概要は「30㎏ほどの塩・砂の詰まった革袋(子牛の革)」を「30~40人程の騎馬に乗った男で奪い合い続ける」といったものでした。
下世話な例えをすると「騎馬武者がデパートのバーゲンセールをやる様なもの」ですから大変危険な競技です。場合によっては落命する程の危険への対応と特殊な訓練を施した専用馬の育成が必要な為、屈強で馬の扱いに長けた精鋭しか出場出来ないそうです。
逆に言うと「ブズカシに選出される」という事は「優秀な男だ」と認められたという事です。競技者には勝利条件である「革袋を取る」事もさることながら「ブズカシに参加する事・参加できる事」こそが重要であり、栄誉なのだそうです。
【参加できる名誉について考える】
話を戻すと、オリンピックはどうでしょうか。
「オリンピックは参加することに意義がある」と言ったのは近代五輪の祖、クーベルタン男爵ですが、今はすっかり「参加するだけでは意味がない」「勝たないと意味がない」という哲学感に移行した様に思えます。
実はこの「勝利至上主義現象」は古代オリンピックでも起こりました。古代五輪でも勝利者への報償が回を増す毎に過激となり、その後不正が横行し、大会は腐敗し、いつしか消滅してしまったのです。
誤解の無いように書き加えますが、今回のレーム選手へのクレームは正式なクレームですから全く不正ではありません。ただ、我々はこの出来事を受け、ここでもう一度オリンピックの意義について考え直さないと近代五輪は古代五輪と同じ轍を踏んでしまうのではないか。私は強く心配します。
皆さんはどう考えますか?
天野貴昭
トータルトレーニング&コンディショニングラボ/エアグランド代表