清原さんの薬物使用はドラフトのトラウマ? --- 田中 紀子

▲逮捕後削除された清原容疑者のブログ

清原さんの薬物問題で持ちきりでしたが、私も、今日は移動中もずっとTVを音だけ聞きながら動き回り、目が(耳が)離せませんでした。有名人の薬物問題が出るたびに「何故、コメンテーターに薬物依存症に詳しい人物を選ばないのだろうか!」という憤りを感じます(今回も)。

どうして印象論だけで、適当なことを語るTV報道がまかり通るのか?もっと本質に切り込むような番組作りをお願いしたいと思います。

一番腹がたったのは「安易に薬物に手を出してはいけませんね~」という女性解説者の適当コメント。

バッカじゃないの~~~~~!!!!!
と心の中で叫んでしまいました。

天下の清原選手ですよ。
何もかも失う可能性のある薬物に「安易」になんか、手を出すわけないじゃないですか!!!
覚せい剤を使わなきゃ乗り越えられない心の傷があったから、苦しくて、苦しくて、どうしょうもなくて使ったんですよ。

想像してみて下さい。
一般人から見たら何もかも手中に収めているように見える清原さんが、「これがバレたら、全てを失う」という、究極の選択を迫られたんですよ。普通だったら「安易に薬物を断れる」んですよ。
でも、できなかった・・・

それは何故なのか?私は二つの理由があったと推察しています。

これは、あくまでも報道されていることからのみの推察でしかありません。
けれども依存症に陥る人の、パターンでみると、清原さんはそのパターンに、ずっぽりとあてはまるのです。

まず理由その1。
引退したアスリートであること。それも超ド級の一流選手だったことです。

あれだけの活躍をなさったということは、それだけ苦しい練習にも耐え、野球にのめり込んだということです。辛い、苦しい日々の練習。けれども清原さんの場合その苦労は、度々報われるわけです。
ホームランを打ち、記録を作り、優勝を経験する。その度にドーパミンも相当出たことでしょう。

その華やかさ、ドーパミンの繰り出す万能感を知ってしまった後に、引退後の穏やかな生活が待っている訳です。自分にスポットが当たるわけではない。後輩たちの活躍を追いかける、コメンテーターや解説者の役割では、現役時代の興奮を得られることはなかったでしょう。

実際、引退後の清原さんはこんなことを言っています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160203/k10010396221000.html

ぽっかり空いた心の穴・・・喪失感を語っています。引退2年後にTV番組でも、
野球の達成感を知ってしまったから、なにやっても心に穴があいていて・・・
巨人で打てなくて、ボロクソ言われている時より辛い
野球やめたら穏やかに過ごせると思っていたのに、今が一番つらい
というように「生き甲斐」でもあり、清原さんを守ってくれる「武器」でもあった野球を失った後、
心の穴を埋めてくれるものが見つからなかったことを、繰り返し述べておられました。

「ぽっかり空いた心の穴」
これを私たちは「心の空白」と呼び、世界中の依存症者が使っている「12ステッププログラム」のマニュアル本にも、「私たちは皆、心の空白を抱えていた」と書かれています。

実際、私たちの仲間の中にも、この何かを達成した後の心の空白に、依存症が入りこんでしまった人は多々います。「スポーツ選手を引退した」「受験が終わった」「会社を辞めた」などです。

でも、人は皆何かを卒業していくわけで、その人たちが皆、依存症になる訳じゃない。

何かを達成した後も、自分の歩んできた道を信じ、今度は後進の育成に励んだり、周りの人たちに頼ったり、支えて貰いながら、第二の人生に進んでいくわけですよね。

じゃあ、清原さんは何故そうならなかったのか?いえ何故そうできなかったのか?
それは基本的に他人をそして自分をも信じられなかったから・・・
理由その2として、私はあの運命のドラフト会議のトラウマがあると思います。

お若い方はご存じないかもしれませんので、
事件の顛末が書かれている、この記事をお読み頂ければと思います。
http://www.news-postseven.com/archives/20150818_340493.html?PAGE=1#container

恋い焦がれ、絶対に入団するんだと幼い頃から決めてきた巨人軍。そして辛い練習を乗り越え、夢が叶う日がもうすぐそこ、目の前に迫っている、相手も愛をささやいてくれていたのに、
蓋をあけてみたら、なんと最大のライバルであり、戦友でもあった、桑田さんが指名された訳です。

これがですよ、まだ別の学校の生徒だったら、清原さんだって、少しは納得できたでしょう。
それがよりによってチームメイト。しかも清原さんはまだ18歳の高校三年生。
純粋な野球少年時代に、日本中に自分のみじめな姿が放映された訳です。清原さんにとって、大きな大きなトラウマとなったはずです。

皆さん、ご自分が清原さんの立場だったらどうですか?こんな仕打ちに耐えられたでしょうか?
恥ずかしくって、悲しくって、悔しくって、ひきこもることでしょう。

その後、憧れの巨人軍にFAで入団されましたが、全盛期を過ぎていた清原さんは、巨人で大記録達成!とはならず、成績は伸び悩み、最後は戦力外通告となりました。

そう清原さんは、このトラウマのために、心のどっかで、人を信じられなかったと思います。
だからこそ第二の人生のソフトランディングが上手くいかなかったのだと思います。
現役時代はそれこそ自分の腕1本でなんとかなります。でも、第二の人生は、人とのご縁、人との信頼関係がものを言う世界です。

そして「恥の概念」は、依存症と密接に関わっていますが、二度と恥をかきたくない、二度と恐怖を味わいたくないという、トラウマからの防衛本能は、人に虚勢をはらせ、その虚勢と実際の自分がかけ離れているため、自分のことも嫌いになっていきます。

「本当の小さい自分を知られたら、人は自分から離れていく。」
依存症者はこの「本当の自分」という言葉を良く使いますが、自分が二つに分離しているように感じるのです。

そして、その虚勢や、威嚇は、人との軋轢を生み、人間関係を度々壊してしまいます。
その孤独が、人を益々依存行動へと走らせてしまう、悪循環のスパイラルができあがるのです。

こんな風に分析してみると、喪失感やトラウマといった、依存症者が抱える心の問題を、清原さんもまた同じく抱えていたと思うんです。ですから、清原さんには、回復プログラムこそが必要だと思っています。

野球界は、ドラフトという残酷な制度があります。それが致し方ないものにしても、野球選手に対するメンタルケアについても、力を入れるべきではないでしょうか?

特に、心の空白にあっというまに忍び寄る、依存症という病気に対する、予防教育を絶対に取り入れるべきです。

そして引退した野球選手は、やがて一市民として、特別に大活躍した人でない限り、普通の人として生きていくのです。その時に、華やかな舞台から急に降りた喪失感から、依存症にならぬよう、同じく心のケアと予防教育を導入すべきです。

清原さんは、信じられない努力をし、そしてとてもピュアな人だったのだと思います。
「本当は弱い人」というコメントもありましたが、人間は誰しも「本当は弱い人」だと思うのです。

清原さんは、強くあろうと最大限努力した努力家であり天才です。
その姿に、誰もが称賛を贈り、勇気を貰ったはずです。
そして、自分の心の空白に、誰よりも正直に向き合い、敏感に感じる・・・いえ、感じてしまう人だったのだと思います。

断じて清原さんは、甘い気持ちで薬物に手を出したのではないと思っています。自分に甘い人、甘やかせる人だったら、薬物には手を出しません。

自分に厳しく、そして敏感な人だったから、薬物に手を出すしかなかったのだと思っています。
自分を裏切るしかなかった日々は、きっと辛かったですよね。あなたは、その腕に注射針を差す度に、自分を嫌いになり、自分を見捨てていったはずです。きっと泣きながら、怒りながら、薬物に染まっていったことでしょう。苦しかったですよね。

でも清原さん、人生はこれで終わりなんかじゃありません。
あなたには回復の道が残されています。

あなたほど根性があり、努力ができ、辛いことを乗り越えてきた人なら、このピンチもきっと乗り越えて、また違った境地を切り開いてくれると信じてます。今度は、あなたの回復のメッセージを広げて欲しい。私たちは、そう願い、待っています。


編集部より:この記事は、一般社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表、田中紀子氏のブログ「in a family way」の2016年2月4日の記事「処分だけなら無責任です」を転載しました(見出し、本文の一部をアゴラ編集部で改稿)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「in a family way」をご覧ください。