【映画評】スティーブ・ジョブズ

渡 まち子

1984年、スティーブ・ジョブズは、Macintosh発表会の40分前、「ハロー」と挨拶をするはずのマシンが黙ったままなので、激怒していた。マーケティング担当のジョアンナらがカットしようと説得するが、ジョブズは絶対に折れない。そこへ元恋人・クリスアンが、ジョブズが認知を拒む娘リサを連れて現れる。混乱の中、胸ポケット付きの白いシャツを用意しろと命じるなど、不可解で強硬な要求を繰り出すジョブズに周囲は困惑するが、すべては明確な理由があった…。

パーソナルコンピュータやスマートフォンを世に送り出し、人々の仕事と生活を大きく変えたIT界の天才スティーブ・ジョブズを描いた映画「スティーブ・ジョブズ」は、ジョブズ本人ほか多くの関係者に取材した唯一の公式伝記であるウォルター・アイザックソンのベストセラー評伝をベースにしている。ジョブズという人物は、類まれなイノベーターでありながら、人として、とりわけ父親としてあまりに未熟という、矛盾そのもののような存在だ。いかにも俊英ダニー・ボイル監督だとうなるのは、表層的な伝記映画(アシュトン・カッチャー版がまさにそれ!)にはせず、1984年のMacintosh、88年のNeXT Cube、98年のiMacという3回の製品発表会の開始直前の舞台裏に絞るという、シャープな語り口にしたことだ。伝説的なプレゼンの舞台裏の戦場さながらの様子は描くのに、本番のプレゼンの模様は大胆にも省略してしまうという潔さも面白い。そのユニークなスタイルは、本当に必要なもの以外を切り捨てたジョブズの信念とも共通するものだ。

ボイル監督が目指したのは、すでに世界中が知っているジョブズの偉大な功績やコンピューター誕生秘話ではなく、転機となる3度の瞬間に肉薄することで、革新者として、人間として、父親としてのジョブズの横顔を浮き彫りにすることだった。めまいがするほど膨大な会話劇をやり遂げた、ファスベンダーやウィンスレットら実力派俳優たちの熱演も見事。終盤に、不器用な親子愛を通して父としての真の顔に迫ったことで、人間ドラマとしての深みも増している。見るものを一瞬も飽きさせないエンタテインメントに仕上がっている。
【75点】
(原題「Steve Jobs」)
(アメリカ/ダニー・ボイル監督/マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、他)
(会話劇度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2016年2月12日の記事を転載させていただきました(画像はアゴラ編集部)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。