ALSの闇を照らすコミュニケーションの光 --- 恩田 聖敬

文字盤というものをご存知でしょうか?

ALSの多くの患者は、症状の進行過程において自発呼吸が出来なくなり、気管切開をして人口呼吸器をつけなければ死に至ります。また、気管切開の過程において「声」を失います。その後のコミュニケーションはどうなるのでしょう?
現在の時代は、パソコンがあり、身体の一部がわずかでも動けば、そこを使ってパソコンに書き込む特殊な入力装置が数多あります。私は、iPadにBluetoothで接続する、弱い力でも押せるボタン式入力装置でこのブログを書いています。しかし、パソコンの無い時代や外出先でパソコンの無い場合はどうすればいいのでしょう?
先人の知恵は偉大です‼︎
極めて原始的ですが、一番使えるアイテムが文字盤です。
使い方は簡単です。介助者は文字盤を私との間に広げて持ちます。私は、伝えたい文字を見続けます。介助者が文字盤を移動すると、私の視線が移動するので、私の視線が介助者の視線と一致するように動かし、視線の間にある文字群を見ます。例えば「あ行」なら、介助者は「あ」といいます。私は合っていれば頷き、間違っていれば首を振り再び正しい文字群を探します。「あ行」が合っていれば、介助者は「あ、い、う、え、お」と読みあげます。私は、意中の文字が読まれた際に頷きます。以後、繰り返して文章にします。
7歳の娘でもうまく使いこなせています。何回か私の声を聞いて分からないと、「こんな時は魔法のやつ!」と文字盤を持って来てくれます。聞こうと思ってくれる気持ちが嬉しいです。息子も持って来ますが、まだ難しいようです。
文字盤も無い場合は、「口文字」という方法がありますが、また別の機会に書きます。ALS患者さんの中には、高速で口文字を使いこなし、冗談を言う方もいます。凄いです。
いずれにしても、私の気持ちを聞きたいと思ってくれる人がまわりにいる限り、黙っている訳にはいかないですね。これからも発信し続けます。
声を失う。でも、文字盤と口文字がある。どう使いこなすかは自分の心の持ちよう次第です。常にポジティブ ‼️
ALSにやられてたまるか!
恩田聖敬

恩田 聖敬(おんだ・さとし)
1978年(昭和53年)岐阜県生まれ。京都大学大学院卒業後、2004年複合レジャー施設「JJ CLUB 100」を運営するネクストジャパンに入社。2009年には取締役就任。その後グループ会社であるアドアーズの常務取締役として全国のゲームセンター店舗を回り、希望退職を実施し、大規模な改革を行う。親会社のJトラストでM&A等を担当した後、14年4月に岐阜フットボールクラブの代表取締役社長に就任。サービス業の経験と、会社管理の経験をフルに活かし、サッカービジネスにエンターテイメントの要素を導入も、社長就任と同時にALS(筋委縮性側索硬化症)を発症。病を公表後も社長業を続投したが、15年11月末の公式リーグ最終戦を以って病の進行により、止む無く社長を辞任。


この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年3月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。