党首は有名なのに議席が取れない社民党の歴史まとめ --- 選挙ドットコム

参議院選挙にむけて、民主党と維新の会が合併し、新たに政党を結成するなど、政党の動きが活発になってきています。選挙では勢力を伸ばす政党もあれば、立ち消えになってしまう政党もあります。その中でも、重要なのは議席数

法律上、「政党」と認められるためには、5人以上の国会議員がいるか、もしくはその直前の選挙で2%以上の得票率を得ていなければなりません。

現在、所属国会議員が5人以上政党は、9つあります。
その中でも、今回の参議院選挙で5人以下になってしまうかもしれない政党があります。それは、「社民党」と「生活の党と山本太郎となかまたち」の2政党です。

・社民党は現在5人(内、衆議員2人・参議院3人)
・生活の党は現在5人(内、衆議員2人・参議院3人)

社民党は今年の2月21日の党大会後に、参議院においては現有議席数を上回る3議席以上を目標に掲げました。

自民党の一強と言われ、野党第一党の民主党ですら維新の会と新党を結成することで、何とか有権者からの支持を得ようとしている中で、現状であまりメディアに出てくる機会の少ない社民党は、果たして目標議席を獲得することができるのでしょうか。

今でこそ、政党要件を失いそうな社民党ですが、全盛期には政権与党の自民党と争い、選挙による政権交代の期待すらありました。今回は、そんな一度政権政党になった歴史ある政党の社民党について紹介します。

戦後日本の政党政治の基礎「自民党と社会党」、そして低落へ

社民党の起源は、戦後日本の政党政治の基礎が作られた1955年までさかのぼります。
1955年に一度分裂していた社会党が「護憲と反安保」を掲げ社民党の前身である「日本社会党」が作られました。

実は今でこそ圧倒的な支持を得ている自民党は、この「日本社会党」に対抗するために、日本民主党と自由党が合併し、作られた政党でした。そして社会党は1958年の総選挙において、議席の3分の1以上を単独で獲得するなど、野党第一党、対抗政党としての地位を確立していました。

しかし、社会党は政権交代に必要な数の候補者を立てないことや他の政党(公明党や日本共産党)の台頭、時代背景として社会主義への不信も相まって、現状維持が精一杯で低落傾向が高まります。

そんな1986年に、日本初の女性党首である「土井たか子」氏が委員長に就任し、女性候補の擁立などの戦略で「マドンナブーム」を起こし、参議院選挙で自民党を過半数割れに追い込む躍進となりました。

ブームに乗って、政権交代を目指しましたが、候補者が過半数に満たない選挙戦略などで政権交代のチャンスを逃し、1993年には新党ブームの波に飲まれて、唯一議席を大幅に減らすこととなりました。

非自民党の細川政権でも、野党第一党なのに不遇な期間を過ごしますが、非自民政党間での内紛と自民党の政権奪還の戦略により、「村山富市」委員長が首相に指名され、自さ社政権(自民党、新党さきがけ、社会党)が成立します。やっと中心となって政権を取ったにも関わらず、対立していた自民党との連立政権で、社会党は大きな代償を払います。それまでの安保肯定や自衛隊合憲などの方針を180度転換させ、支持を失い、これ以降、選挙で議席が取れなくなります。

この流れの1996年に「社民党」に党名を変更し、「土井たか子」氏を党首に再登板させるも、選挙で敗北を重ね、2003年に「福島みずほ」氏が党首に就任します。

あとはご存知の通り、2009年の民主党による政権交代時には社民党も、2度目の政権与党として連立参加しますが、沖縄の普天間基地問題での民主党との意見の相違で連立から離脱します。その後の選挙も敗北を繰り返し、2013年に現在の「吉田忠智」党首となります。

グラフでみる社民党の歴史

ここまで社会党として野党第一党、そして連立政権の首相を輩出するまでの輝いていたころから現在までの歴史を見てきました。ここからは、実際の選挙データから得票率と議席率の変遷を見ることで、社民党の歴史をたどってみましょう。

社会党時代は、二桁の得票率を維持し、野党第一党として3割の議席があったのですが、1969年の第32回総選挙から一段階、得票も議席も減っていることが分かります。これは、第31回総選挙で公明党が登場し、都市部を中心に力を付け、同時に共産党にも票が移ってしまったことが原因です。1990年の第39回総選挙の土井たか子党首のマドンナブームで波にのるかと思いきや、そのまま落ち込んでいきます。

社民党に党名変更し、選挙制度も変わりましたが、支持の落ち込みは続きます。メディアでよく観る福島みずほ党首になっても、それは変わらず、どんどん得票も議席も減らし、衆議院では1桁議席がやっとな状態です。

このようにグラフでみると、顕著であの時、頑張っていれば、しっかりと時代や有権者に合わせて選挙戦略を取っていればというのが見えてきます。

たとえ小政党になっても、社民党党首の存在感。

社民党は90年代以降、野党の中でも議席数が少ない政党です。国会で議席が少ないというのは力が弱く、目立つための機会が少なく、知らないまま消えていく政治家も多くいます。でも、なぜだか印象に残る党首が社民党にはいます。

長い眉毛のイメージが強く、初代社民党党首で、1994年に連立政権の首相となった「村山富市」氏は、大正(1924年、大正13年)生まれの最後の総理大臣でした。

1955年以降で、一度も自民党に所属したことがない初めての首相でした。就任期間は、阪神・淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件、全日空機ハイジャック事件など大きな事件がいくつも重なり、その対応を首相として行いました。

村山談話を出したことでも最近話題になっています。

1986年に憲政史上初めての女性党首となった「土井たか子」氏は、有権者の女性層を意識して、多くの女性候補を擁立し、1989年の参議院選挙では自民党を上回るマドンナブームを引き起こしました。その後の展開は既に書きましたが、女性初の参議院内閣首班指名や衆参議会で女性初の議長となるなどの記録も持っており、また「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに初めて出演した政治家でもあります。

この他にも、テレビ番組などで社民党を代表して出演することの多い「福島みずほ」氏なども社民党では存在感のある議員だと思います。しかしながら、その党首や政治家としての存在感があるにも関わらず、実際の選挙での結果がついてきていません。

このように歴史もあり、一時は政権政党にまでなった政党が今年の参議院選挙や、いつか来る衆議院総選挙で政党要件を満たせない5議席以下になってしまうかもしれません。

しかし、現代社会やそこにある問題が刻々と変化し、有権者が求めることも変わっていく世の中で、政治も変化しなければならない部分は多くあります。それに対応できなかった政党は選挙によって、その代償を払うことになってしまうのかもしれません。選挙にはそういった側面もあるのです。

※バナー画像は社民党公式ツイッターより(アゴラ編集部)  

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渋谷壮紀

1988年鳥取県生まれ。東京工業大学大学院社会理工学研究科博士課程在学中。専攻は政治意識・行動分析、実験政治学。研究テーマは政党公約分析、有権者選好のマクロ分析、熟議民主主義の実証研究など。学部時代にWebサービス開発の経験あり。


編集部より:この記事は、選挙ドットコム 2016年3月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は選挙ドットコムをご覧ください。